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京都の文化遺産を守り継ぐために 「京都五山の送り火の保存と継承」

京都五山送り火連合会会長・NPO法人大文字保存会会長
長谷川 英文

はじめに

昭和35年頃まで京都三山で灯されていた送り火「大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形松明」の五つが京都市の提案で連合会を設立して60年に成ろうとしています。各山の送り火には様々な成り立ちがありましたので設立当時も大変だったと思います。
それでは、各山の送り火の保存と継承、課題等についてお話いたします。

1. 大文字送り火

大文字送り火 『花洛名勝図会』

大文字送り火 『花洛名勝図会』(元治元年)東山之部 四
(以下筆者撮影)

大文字保存会は、明治維新当時の廃仏棄釈によって旧浄土寺村「村民」に寺領地「相国寺」の土地家屋はじめ田畑・山林が払い下げられた事で、それまでの寺領地での行事までも受け継ぐ事になり、その中には送り火行事も含まれていました。
江戸時代に東山山荘が復興されて相国寺に下げ渡され、名称も東山山荘から足利義政公の法名慈照院義政から「慈照寺」と名称を変えられ、足利義政公の菩提寺とされたようです。江戸時代中期の頃より慈照寺裏山「月待山」の上で大の文字を灯すようになったようです。当初は手松明を寺の境内の住人に持たせて山に登らせ、過去に義政公の嫡子義尚公が病死されたときに義政公が横川和尚に嫡子を弔う事を相談されて、和尚によって東山山荘から月待山を望む如意ケ嶽中腹に大の文字を和尚の筆画によって指示し白布を張らせた跡に立たせて焚き上げたのでしょう。その後は切り竹を山腹に立ち付けその先に薪を差し掛け、また、石柱の上に立て掛けたりしていたが、山腹に棚田の様に火床を作り井形に組み上げるようになりました。これが「現在の原型」です。
但し、明治・大正期以前は慈照寺の行事であって、現在の様に先祖供養になったのは日清・日露戦争で身近な人たちが戦死された事により、送り火事態を庶民の送り火としたのではないかと思われます。現在の大文字山「浄土寺七廻り町」が慈照寺境内で暮らしていた村民に払い下げ通知が届いたときに、当時の庄屋はじめ名主さんたちが京都府知事に払下げ辞退の申請をされたのですが、即座に却下されて帰ってこられたようです。払下げ後は山林12haを村民共有林として登記し、送り火はその時の登記名義人(48名)によって銀閣寺保存会として継承する事になりました。
赤松や松葉は共有林で伐採採取し、小麦は村人全員で畑で作付けし、刈取りも村人で行っていました。昭和20年頃までは半農・林の村生活であったので、祭りや寺行事には村民全員で行っており、各行事に対しても現在と違って一致団結する事にあまり抵抗感がなかったのでしょう。送り火行事に関しても、私自身も祖父や父だけでなく村の先輩たちに10月の村祭りが終わると11月に畑に駆り出されて小麦の作付けを手伝わされます。12月から翌年の2月頃に山へ赤松の育成作業、伐採作業の手伝い、松葉の集積作業を教えられました。中学生ぐらいになると力仕事をさせられました。2月頃に伐採した赤松木を3月頃から玉切りにして下木を並べて積み上げ2・3週間林内乾燥して置く、その後4月から5月頃には大割り・小割り作業をして薪に仕上げて往く、6月から7月の梅雨入りまでに倉庫に収納する作業と小麦の刈取り作業を終えます。

資材の準備の様子

資材の準備の様子

このような作業も第二次大戦後の昭和25年頃から徐々に大人の仕事がサラリーマン「給与生活」になり、田畑はアパート「マンション」駐車場に変貌して往きました。山には人が入らなくなって松林も雑木林に変貌し、送り火に使う赤松も伐採採取するだけで植栽する事を忘れていた為、平成12年頃には共有林内での赤松採取は出来なくなりました。そして平成15年ごろから此れまでに約1.5haに赤松850本を植栽し、現在は育成作業を行っていますが、数年前からマツノザイセンチュウ「マツノカミキリムシ」による松枯れ被害で多数が枯れてしまいました。しかし、その後も薬剤注入など予防をしながら約250本を植樹して30年後を楽しみにしています。
後は後継者と執行資金の問題ですね。

令和2年度の大文字送り火の様子。

令和2年度の大文字送り火の様子。新型コロナウイルス感染症拡大により規模縮小の上実施。

これまでは旧村社会で各家の長子継承として伝承されてきましたが、仕事関係などで核家族世帯が多くなり、また少子高齢化と子供が姉妹であって各家に後継者が定まらなくなってきています。10年単位で実施している保存会の後継者調査では、10年前の調査時は会員数が48家族でありましたが、今回は42家族に減少しており、5年後には6家族が退会すると伺っています。原因は子供がいない家庭であって親族等に相談されているようですが後継者は未定との事です。
また、送り火執行の資金調達も護摩木奉納金や記念扇子などを販売していますが、割り木資材や桧護摩木資材の高騰で将来的には山の整備費や管理費だけでも多額の費用が嵩む為に如何に寄付行為金を求めるか、また、クラウトファンディングなどを利用する事も考慮して行かなければなりません。
多くの方々から伝統行事の継続を要望されます。私たちは出来うる限り京都に数百年続いたご先祖を送る送り火を灯し続ける覚悟ではあります。しかし、今回の新型コロナウイルス感染症拡大の影響により規模を小さくしても送り火を灯しました。今後、様々な障害にも考慮して市民の皆様と共に、ご先祖を敬い、必ず西方浄土「冥府」に送る火を焚かせて頂きます。
大文字保存会としては以上の様に継承していますが、以降の伝承はまだまだ課題を残しています。

2.松ヶ崎妙法送り火

松ヶ崎立正会さんの「妙」は萬灯篭山麓の西五町(53世帯)によって火床103基に火を焚かれています。また「法」は大黒天山麓の東一町(20世帯)によって火床68基に火を焚かれています。
事前作業は7月初旬から登山道や火床の整備に73世帯の会員によって執り行われます。資材の赤松は毎年春先に林業者に委託し、8月初旬には役員宅に納品され、その後各会員に配分され、送り火点火時まで会員宅で乾燥保管されます。点火当日、早朝に会員によって赤松は持ち場の火床に運び込まれ、正午までに組み上げを完了しておきます。点火時間まで自宅で待機され、点火時間前には山頂の火床に集合し、点火時間になると住職の読経が始まり火床に点火されます。
会員は立正会の信徒さんで組織されている事から、継承者は充実している事と思われます。

3.船形萬灯篭送り火

船形萬灯篭保存会は西方寺さん所有のお山「妙見山」で船形を捩った108の火床に火が焚かれています。開祖慈覚大師円仁さんによって「国家安泰・五穀豊穣」を祈願して灯されたようです。
火床は79ヶ所あって、会員の組織は西賀茂の総門町はじめ鎮守庵町・今原町の三町内に住まいする世帯で構成され、その家族の18歳以上の若中18名とそれ以上の中老36名が点火作業に従事されています。
事前作業は松ヶ崎妙法と同様ですが、8月1日に西方寺の総門に高灯篭が掲げ立てられます。その後お寺の門前等で護摩木奉納の受付をされ、点火当日に役員によって山麓に運び込まれ、会員によって各火床に配分・組み上げ作業をされます。点火時刻になると、役員が打ち鳴らす鐘の音に合わせて18名の若中が決められた火床に走り、79ヶ所の火床すべてに火が焚かれます。

4.左大文字送り火

左大文字保存会は衣笠街道近くの地域寺である浄土宗西山派「法音寺」に於いて送り火の灯明を頂いています。
毎年7月になると業者に委ねている赤松が搬入されてきます。搬入後、保存会員の手によって小割りされ薪に仕上げ、倉庫で乾燥させておきます。8月に入ると青竹を切り出し、灯明道中用の大松明を作り上げる作業が始まります。送り火前日から金閣寺境内で護摩木奉納の受付を行い、点火当日の早朝に山頂へ搬送し、会員全員で火床まで運び上げ組み上げ、作業後に一時下山して各家庭で待機します。夕刻に役員・会員は法音寺に集合し、点火1時間前には中庭に移された灯明台からまず大松明に移され、その後会員が持つ手松明約60本にも移されます。同時刻、衣笠街道沿いの会員宅前(24ケ所)には篝火が焚かれています。年男が担ぐ大松明を先頭に約60本の手松明を持つ会員が続き、送り火を灯す大北山山頂を登って往かれるのです。点火時刻になると保存会長が打ち鳴らす太鼓によって各火床に火が焚き上げられます。
左大文字の送り火は化野などで葬送された方々の霊を弔ったであろうと伝わっています。

5.鳥居形松明送り火

大文字送り火の点火の様子

大文字送り火の点火の様子

鳥居形松明保存会は嵯峨鳥居本町「旧葛野郡」の地域住民によって行われています。京都三大葬送地の化野に弘法大師が立ち寄られ、遺棄された死者を祀るために如来寺「後の化野念仏寺」を建てられ、その供養に賛同した葛野郡村民有志12名が手松明を持って萬燈会を行ったようです。
しかし、その後の鳥居形が記されているのは慶長8年(1603年)舟橋秀賢ひでかたが「山々に火を焼く見物に東河原に出でおわんぬ」と日記に書いていたり、万治3年(1660年)の洛外図には「大文字や妙法と共に鳥居形松明が描かれています。現在の鳥居を描いて灯したのは江戸時代初期の事で、化野での萬燈会を曼荼羅山に一の鳥居を捩って鳥居を描き、葛野郡村民によって火を焚かれたのでしょう。ただし、火床で薪を突き立てる手法は古来の手松明を差し上げた名残かと思われます。
会員数は45名ですが、点火執行者は20数名の若者によって行われるために、夕刻山頂に集合し持ち場の火床確認や順序の確認をして置きます。点火時間になると会長が打ち鳴らす太鼓を合図に親火で炙り灯された薪を肩に担ぎ、一目散に走り火床に差し込んで行きます。これを遠望している庶民は「走る送り火」とも呼んでいます。鳥居形が赤々と燃え上がる時刻になると、最初に焚かれた大文字をはじめ、妙・法、船形、左大文字は火を落としています。

おわりに

このように各山の送り火は独自に保存・継承しています。京都五山送り火連合会としては、お寺・信仰・地域性などそれぞれ継承の仕方が違っていますが、庶民の安泰や無病息災・先祖供養など世の中が平穏であることを願って灯される火であることは間違っていないと思います。これからも後継者に対してすべての人々の願いを灯し続けるように伝承して往きます。

(会報129号より)