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京都の文化遺産を守り継ぐために 「神泉苑の歴史と保存への取り組み」

神泉苑住職
鳥越 英徳

神泉苑の創建

神泉苑

神泉苑

神泉苑は今を去る、千二百十数年の昔、延暦13年(794)、桓武天皇が平安京を造営されたとき、造営されました。神泉苑のこの場所には多くの池沼が存在し、平安京の都市計画に併せて天皇の遊宴の庭園として造られたものであり、一般庶民は入苑を許されないという意味で「禁苑」と呼ばれました。
境内の規模は、北は二条大路、南は三条大路、その間には、押小路、三条坊門小路(後に御池通とよばれる)姉小路が存在します。
東は大宮大路、櫛笥小路そして最西の壬生大路に至ります。面積は約十万㎡に及びます。境内の東北にある「神泉」から涌き出た水は、小川を通って大池にそそぎ、池畔の乾臨閣けんりんかくを正殿にして、左右に楼閣や釣殿、滝殿が配置されていました。歴代の天皇、貴族が行幸されました。
平成3年から行われた地下鉄東西線工事に伴う発掘調査の際、遣水やりみずの流路や、船着き場の木材などが発見されました。また、緑釉瓦りょくゆうがわら(大極殿などに使用された)も発掘されています。
神泉苑造営から6年後の延暦19年(800)には早くも桓武天皇の行幸がなされ、以後、正史に表れるだけでも31回、神泉苑に遊ばれています。桓武天皇にとどまらず、嵯峨天皇も神泉苑に行幸を重ね、弘仁3年(812)には嵯峨天皇が行幸され、平安京における日本ではじめての天皇の観桜の宴が神泉苑において行われました。
神泉苑の宴遊に、弘法大師空海も同席されたと思われます。
空海の『性霊集しょうりょうしゅう』(図1)には「秋の日、神泉苑を観る」として
最初の二句で神泉苑に訪れ感銘を受けたことが歌われ、後の六句で神泉苑の魅力と嵯峨天皇のお徳への帰依が伺えます。

図1

図1

霊場としての神泉苑

この、天皇行幸の場としての、神泉苑が徐々に変化した契機となるのが、空海による雨乞いです。天長元年(824)、日本中の日照りの際、空海は天皇の命を承け神泉苑において北天竺の善女龍王を御勧請(招き)請雨経法を修され、その結果沛然として雨が降り、善女龍王は神泉苑の池に止まることとなりました。これを契機に神泉苑は祈雨の霊場として喧伝されるようになりました。
その後、幾度もの火災や荒廃や二条城造営のため、縮小を経ますが、1600年頃に現在の神泉苑が形づけられたものです。広さは、約6600㎡です。

文化財維持への取り組み

神泉苑の鐘楼堂

図2 修復された鐘楼堂

図2 修復された鐘楼堂

神泉苑鐘楼堂(図2)はもともと、境内西南の隅にあったものを、昭和38年の災害復旧と共に現在の神泉苑北東に移築されたものです。鐘楼は宝永の絵図に確認でき、梵鐘は正保3年(1646)に神泉苑中興の祖、快我上人によって鋳造されたものです。

図3 梵鐘

図3 梵鐘

梵鐘(図3)の材質は青銅の鋳造で、高さ133㎝、口径76㎝、鐘身は上帯・中帯・下帯の三本の横帯で水平に区切られ、垂直にも縦帯で区切られます。縦帯は四本で、縦身をたてに四分割します。
上帯と中帯の間の空間は上部は「乳の間」、下部を「池の間」と呼びます。神泉苑の梵鐘には「乳の間」には「」と称する突起状の装飾を縦横五個ずつ計百個つけています。「池の間」には銘文と、蓮華座に載った梵字が刻まれています。
銘文には
神泉苑中興の祖、快我上人により鋳造された。施主は千蔵院、
釜座の名越(江戸の釜師名越善正の家系)出羽大極入道浄正
正保三年(一六四六)三月吉祥日に法印権大僧都實祐が敬って  申す と刻印されています。
神泉苑での梵鐘の主な役割は法要や、祭典の行事の予鈴としていたり、除夜の鐘として地域の善男善女の方々に親しまれています。第二次世界大戦時に出された金属類回収令により、日本の多くの梵鐘(約九割)が供出されましたが、幸いにもその難を逃れました。
その音色は、錫の合金比率で決まると言われています。音程を測定したところ「C-ド」の音と判明しました。私ども真言宗の僧侶としましては声明しょうみょうのさい、頭(リーダー)のとる音程が重要となりますので、予鈴に撞いた梵鐘の音を基本にして僧侶が頭をとったと思われます。

鐘楼堂修復へ

長年の風雨及び落葉や枝の落下による損傷などによって雨漏りし化粧垂木などをいためていました。京都市及び京都府の担当の指導を仰ぎ、平成24年2月に着工し、3月に竣工しました。
工事にあたっては、着工前の記録と、瓦及び木組みで再生可能ものを選別保存の方向を打ち立て、古瓦は約50%を日当たりの良い、東流れ、及び南側に再用しました。工法としては現状の土葺きですが、空葺きとし、軽量化をはかり、新調する瓦は、岐阜産の耐寒瓦とし、焼成温度1150℃以上、吸水率8%以下のものとしました。
(施工の資料は業者、竹村瓦商会、福井工房より頂きました)
お陰様で無事竣工し、行事の予鈴、除夜の鐘等に撞かせて頂けるのをたのしみにしております。
なお、今回の修復事業には、鐘楼堂関係が560万円、周囲の樹木の整備に80万円がかかりましたが、京都市文化観光資源保護財団様と、京都府文化資料保全関係から助成金を過分に頂戴して感謝しております。
神泉苑の境内には他にも補修すべき建造物が数点ありますので、長期的に計画を立てる所存でございます。皆様方のご協力を賜りますようお願い申し上げます。

(会報105号より)