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京都の文化遺産を守り継ぐために 「三つの宝もの-鞍馬寺随想-」

鞍馬山博物館学芸員
曽根 祥子
鞍馬寺本殿金堂

鞍馬寺本殿金堂

自然の宝庫といわれる鞍馬山。

自然の宝庫といわれる鞍馬山。四季に応じて発生する様々な自然の「キノコ」

本殿金堂の内陣を荘厳する羅網

本殿金堂の内陣を荘厳する羅網

毎年6月20日に行われる伝統行事「鞍馬山竹伐り会式」

毎年6月20日に行われる伝統行事「鞍馬山竹伐り会式」

「くらまさん」、古えから親しみと畏敬の念をこめて、京の人にこう称されてきたお山。
山裾を鞍馬川、貴船川の清流が縫う標高569メ-トルの鞍馬山の中腹に、南面して鞍馬寺の本殿が建つ。全山に満ちる宇宙の力、宇宙の理法を「尊天そんてん」として尊崇する「鞍馬弘教」の総本山である。鑑真和上がんじんわじょうの高弟、鑑禎がんちょう上人(思託律師したくりっし)が、夢告と鞍を負う白馬の佳瑞に導かれて草庵を結んでよりこのかた、あまたの人々に崇められ親しまれてきた。
お山には、三つの宝ものがある。一つは、「京都に最も近く最も深い、しかも社寺林として最後まで残る」と形容される自然である。自然度の高さも種類の多さも群をぬいている。
根道ねみち極相林きょくそうりんといった独特の景観があり、和名に「クラマ」を冠するもの(クラマゴケ、クラマトガリバなど)、日本での第一発見地が鞍馬であるといわれているもの(ニシキマイマイ、モリアオガエルなど)も数多い。
お山では、自然は天からいただいた宝もの、尊天の顕現-宇宙の理法がかたちになったものと捉え、生きたる大蔵経だいぞうきょう-さまざまなことを教えてくれる先生として尊んでいる。花も鳥も虫もキノコも、人間を含めたすべて、森羅万象しんらばんしょうは、一つずつが宝珠として時空を超えて縦横につながり、互いに響き合う「羅網らもう」の世界を象づくっている。
そのような自然は、人間が高みから保護するなどと言えるものではなく、その中に包まれ生かされていることに感謝すべき存在であるから、お山では全山を鞍馬山自然科学博物苑と名付け、豊かな自然を感謝の念と共に後世に引き継いでゆくことを第一義に、傷つけたり参道以外は手を入れたりしないよう努めてきた。
一、鞍馬山は尊天の浄域なり 常に清浄を保つべし
一、山川草木 自然の実相に羅網の世界を学ぶべし
一、すべてのいのち輝く世界のために尊天加護を念じ精進すべし
という「境内維持遺訓」に、お山の姿勢が尽くされている。
ところが昨秋の鞍馬の火祭、暴風雨が由岐八所両明神のお旅所ご遷座を阻んだ台風21号は、お山の自然にも無残な爪あとを残した。根返りした何本もの木が参道をふさぎ、また崩落させて、奥の院への立ち入りを停止せざるを得なくなった。一ヶ月余で何とか復旧したものの、樹間からは青空がのぞき、鬱蒼とした森の雰囲気とはほど遠い。日が射し込めば、極相林などの植相も変化するだろう。大自然の前に人間はあまりにも無力である。
江戸時代には植林の記録があり、山容整備に積極的に取り組んできたことが伺えるが、近年、水が溜まり雨後にどろんこになるので歩き易さを優先したら、根っ子が土に埋まってしまった木の根道の例もある。シカやイノシシの増加など課題も多いが、あれこれ手をうたず自然に任せる方がよいのかも知れない。
二つ目は文字通り、有形、無形の文化財、それを生み出した歴史や伝統であろうか。お山は火事が多く、史書に記録を遺す大火が6回、多くの寺宝を灰にしてきている。寺に伝世する国宝2件、重要文化財6件は、先人の大きな努力により守り継がれてきたものである。その一端を伺い知る史料が、大惣法師仲間おおぞうほうしなかまとして竹伐り会、鞍馬の火祭に奉仕される岸本道覺どうかく家に伝わっている。(平成27年、寺に奉納された。)文化11年(1814)の炎上の際、鞍馬の里人、15歳以上の男子が馳せ登り、尊像や寺宝を焼失から救った経緯をつぶさに知ることができる。20年近く前、落雷で山中の木が燃えた時も、地元の方がいち早く異変に気づいて駈けつけてくださり、事なきを得たのであった。
無形民俗文化財として京都市に登録されている鞍馬竹伐たけきは、大惣法師、僧達そうだち宿直しゅくじきという伝統を守る地元の方々が祭儀に出仕して大切な役割を担い、保存会には寺の役員と共に多く名を連ねておられる。
二つ目の宝ものは、鞍馬地区の皆さんとの連携で守り継いできたものなのである。
清新の気に満ちた年のはじめ、雪と氷に閉ざされても木々は芽を育み、やがて花をほころばせ葉を茂らせる。強い日射しを遮る木陰で憩ううち、いつしか錦をまとい葉を散らせて再び冬仕度をととのえる。春夏秋冬、規則正しい四季のめぐりの中で、雨の日も雪の日も、風の日も日照りの日も、お山に日参する人がおられる。お休み毎にご参拝の方、そして月参りが最も多い。みな一様にご宝前に額づき、静かに深く、熱く強く祈りを捧げておられる。お山が開創されてから、いやもっと古くお山が生まれてからずっとずっと、祈りの姿、祈りの心が共にあった。至心に祈る心こそが三つ目の宝ものである。
匠の技に祈りの心が加わって文化財や伝統が生まれ、生まれた尊像を拝して信仰心が涵養かんようされる。祈りの心が自然を活き活きと育み、自然のすがたにいのちや心を感じた時、祈りの心が甦る。お山の三つの宝ものは互いにつながり合い響き合っているが、三つが並立するのではない。祈りの心がすべてを下支えしていて、それを根っ子として自然が豊かに、歴史や伝統が花開き実を結ぶのではなかろうか。
諸行無常しょぎょうむじょう生住異滅しょうじゅういめつ、すべてのものはうつろいゆくとお釈迦さまはお説きになった。星ですら生まれて成長しやがて消えてゆく。実際、現代社会は多様化の一途を辿り、AIや情報技術の飛躍的な発達によって、急速に劇的に変化する様相を見せはじめている。
それでも変わらないもの、変わってほしくないものがある。伝統や文化財、自然を後世に伝えようと、多くの方々が日夜ご尽力になっている。お山もその仲間でありたいと日々努めると共に、素朴な祈りの心、信仰の象を守り継いでゆきたいと強く思う。
すべてのいのち輝く世界のために、お山は「心の故郷ふるさと」「いのちの故郷」「安らぎの故郷」であり続けてほしいと切に願っている。

写真/田中 一郎 撮影

(会報121号より)