葵祭(あおいまつり)
京都の三大勅祭の一つに数えられる上賀茂・下鴨両神社の祭りで,賀茂祭のこと。石清水八幡宮の南祭との対比で北祭とも呼ばれた。


秋里籬島(あきさと りとう)
生没年不明
江戸時代中後期の京都の著述家で『都名所図会』の著者。安永9年(1780)より『都名所図会』を出版,のち『大和名所図会』『都林泉名所図会』などを著わす。


校倉(あぜくら)
横に木を積み上げ,隅で交わらせて壁体を造った倉の一種。


阿弥陀堂(あみだどう)建築
平安・鎌倉頃貴族が阿弥陀像を安置した建築。浄土思想の盛行にともない,仏寺や貴族の邸宅内に多く建てられた。


阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)
往生者を迎えるために仏・菩薩が浄土から現世に到来することを来迎といい,その様子を情景的に描写した図。


在原業平(ありわらの なりひら)
天長2年~元慶4年(825-880)
平安時代前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。業平閑居の地と伝える十輪寺(西京区)において,例年命日とされる5月28日に業平忌が行われる。


池大雅(いけの たいが)
享保8年~安永5年(1723-76)
江戸時代中期の南画家で,与謝蕪村と共に日本南画の祖。作品に屏風「渓亭春興・秋山行楽図」(慈照寺蔵),絵馬「蘭亭雅会図」(八坂神社蔵)などがある。


石川丈山(いしかわ じょうざん)
天正11年~寛文12年(1583-1672)
江戸時代前期の武士,漢詩人。徳川家に仕えたが,大阪夏の陣後に武士を退き,京都に入り,洛北一乗寺に住む。住居に漢から宋までの詩人36人の画像を掲げたため詩仙堂という。隷書や築庭にも優れた。


石田幽汀(いしだ ゆうてい)
享保6年~天明6年(1721-86)
鶴沢探鯨に師事し,円山応挙の師とされる。作品に障壁画「蘇鉄に孔雀図」(醍醐寺三宝院蔵),屏風「四季海浜図」(聖護院蔵)などがある。


一木(いちぼく)造り
像の頭部と体部の主要部を一材から彫り出す木彫の技法。


一遍(いっぺん)
延応元年~正応2年(1239-89)
鎌倉時代中期の僧で,時宗の開祖。熊野権現で神託を受け,念仏札を配る賦算(ふさん)で全国巡歴し,念仏遊行の途中に踊念仏を広める。伝記に『一遍上人絵伝』がある。


伊藤若沖(いとう じゃくちゅう)
享保元年~寛政12年(1716-1800)
江戸時代中期の画家。自然を写すことにより独自の作風を開き,特に鶏画で知られた。作品に鹿苑寺大書院障壁画,「釈迦三尊像」(相国寺蔵)などがある。


伊藤仁斎(いとう じんさい)
寛文4年~宝永2年(1627-1705)
江戸時代前期の儒学者。幼い頃から儒学への道を歩み,孔子,孟子の原典を本旨とする古義学に到達し,堀川通下立売上ルに塾「古義堂」を開く。


伊東忠太(いとう ちゅうた)
慶応3年~昭和29年(1867-1954)
明治・大正時代の建築家。日本の建築史学を創始し,最初の建築学者で妖怪趣味に長じたとされる。平安遷都記念殿建築技師として,平安神宮(明治28年・1895竣工)の設計に携わる。主な建築作品に西本願寺の真宗信徒生命保険会社(現・伝道院),祇園閣,豊国廟,築地本願寺などがある。


入母屋造(いりもやづくり)
入母屋屋根(上部を切妻造屋根とし,その四方に庇屋根を設けたもの)を持つ建物の形式。


院派(いんぱ)
和様彫刻の大成者といわれる仏師定朝から3代目の院助(?~承暦元年・?-1077)に始まる仏師の系統。定朝の次代は長勢と覚助であり,長勢は以後円派と称されるが,覚助はその弟子の頼助と院助に分かれ,頼助は慶派を,院助は院派を形成する。後世,七条大宮に仏所を構え,七条大宮仏所といわれ活躍した。


卯建(うだち)
民家,主に町家の屋根の横端に付けられた塀のような構造物。


運慶(うんけい)
?~貞応2年(?-1223)
鎌倉時代初期を代表する仏師の一人。南都復興期の東大寺,興福寺の造像に指導的役割を果たし,藤原彫刻にかわる運慶様式を確立した。主な作品に「千手観音像」(連華王院(三十三間堂)蔵)などがあり,神護寺や東寺講堂の諸像の造仏・修理に一門を率いて活躍した。


雲谷派(うんこくは)
雲谷等顔(うんこくとうがん・天文16年~元和4年・1547-1618)を祖とする地方画壇の流派。武人出身であるため,その画風には気骨があり,代表作として大徳寺塔頭黄梅院や同龍光院などの障壁画がある。等顔には,等屋(とうおく),等益(とうえき)の2子があり,等益は江戸初期の雲谷派の代表画家として活躍した。


栄西(えいさい)
永治元年~建保3年(1141-1215)
鎌倉時代初期の禅僧で,日本臨済宗の祖。比叡山で修行し2度入宋。建仁2年(1202)に建仁寺を開創。


恵心僧都(えしんそうず)
天慶5年~寛仁元年(942-1017)
平安時代中期の天台宗の僧で,源信という。寛和元年(985)に「往生要集」を著わし,日本浄土教成立の先駆けとなる。


絵馬堂(えまどう)
神社に奉納された絵馬を納める建物。


衣文(えもん)
彫像にあらわされた衣のひだ。


円空(えんくう)
寛永9年~元禄8年(1632-95)
江戸時代初期の遊行造像僧。円空仏と呼ばれる独特の細部を省略した荒削りの一木造の仏像を数多く作った。


円派(えんぱ)
仏師定朝の弟子の長勢(寛弘7年~寛治5年・1010-91)に始まる仏師の系統。円勢・長円・賢円など,円の字を用いる仏師が多いので円派と呼ばれる。後世,三条に仏所を構え,三条仏所と称された。


小川治兵衛(おがわ じへえ)
万延元年~昭和8年(1860-1933)
明治時代中期から昭和初期にかけて活躍した庭師で,屋号を植治(7代目)という。明治27年に山県有朋の別邸無鄰庵庭園を施行し,平安神宮神苑や南禅寺界隈にある邸宅・別荘の作庭を数多く手がけた。


織田有楽(おだ うらく)
天文16年~元和7年(1547-1621)
安土桃山・江戸時代初期の武将,茶人。織田信長の弟。大阪夏の陣前に京都に隠棲。建仁寺塔頭正伝院を再興,茶道に親しみ茶室如庵(現・愛知県犬山市)を構える。


御旅所(おたびしょ)
祭りの神幸にあたって神輿を迎えて安置する場所。


鬼瓦(おにがわら)
棟端,ときに中途に付ける特殊型の瓦。鬼面をつけるので鬼瓦という。


折上天井(おりあげてんじょう)
まわりを斜めに高く持ち上げてある天井。持ち上げることを「折り上げる」という。


音頭(おんど)
大勢の人が歌に合わせて踊ること,又その踊り。



快慶(かいけい)生没年不詳
鎌倉時代初期の慶派の仏師で,運慶と並び称される。運慶様式と好対照の阿弥陀様と称される独特の様式を創始し,後世に影響を与えた。主な作品に「弥勒菩薩坐像」(醍醐寺蔵),「十代弟子立像」(大報恩寺蔵)などがある。


海北派(かいほうは)
狩野永徳,長谷川等伯と並ぶ桃山画壇の雄,海北友松(かいほうゆうしょう・天文2年~元和元年・1533-1615)を祖とする一派。狩野元信に学び,水墨・彩色両様に個性的な作風をみせる。主な作品に「竹林七賢図」「花鳥図」(建仁寺蔵)などがある。友松の子友雪(慶長3年~延宝5年・1598-1677)の代になると,装飾的な画風が出て,以後海北派の特色となった。友雪の主な作品に妙心寺麟祥院方丈障壁画,屏風「祇園祭礼図」(祇園祭八幡山保存会蔵)などがある。


回遊式庭園(かいゆうしきていえん)
園内を巡りながら鑑賞する庭園をいう。近世初期に成立する。池を中心に園路を巡らし,それに沿って,築山や入江・州浜などの景観が視点の移動とともに時間的に順を追ってあらわれるようにしたもの。


蟇股(かえるまた)
一般に下方で広がった曲線から成る輪郭をもつ構造的又は装飾的建築部材。当初は,上の荷重をうける構造材であったが,日本では平安後期頃から装飾専用の蟇股が発達した。


鏡天井(かがみてんじょう)
板を並べて張った平たい天井。仏堂や方丈広縁の上などにあり,堂では丸竜や雲竜などを描いたものが多い。


神楽(かぐら)
平安時代の宮廷音楽。


春日造(かすがづくり)
神社本殿形式の一つ。切妻で正面だけ階段上に本屋に取りつく格好で屋根がある形式。春日大社本殿がその典型。


片山東熊(かたやま とうくま)
 嘉永6年~大正6年(1854-1917)
明治時代の建築家。宮廷建築家として活躍し,主な作品に京都博物館(明治28年・1895),赤坂離宮(現・迎賓館,明治42年・1909)などがある。


花鳥画(かちょうが)
草花鳥を主題とする東洋画の一部門。東洋で人物画・山水画と並んで,最も重んじられた題材で,日本では室町時代から盛んになった。


合掌造り(がっしょうづくり)
岐阜県荘川・白川地方と富山県五箇山地方にみられる茅葺民家の一形式。巨大な合掌で勾配のつよい切妻屋根又は入母屋屋根をつくり,屋根裏を3層程にわけて蚕室とする。


狩野派(かのうは)
水墨画は,当初禅の精神の具現として発展したが,狩野派に至って,初めて職業画系として,禅と離れて制作されるようになる。狩野正信(かのうまさのぶ・永享6年~享禄3年・1434-1530)は,足利幕府の御用絵師となり謹厳な筆致のうちに明快さをもった水墨画を描き,その子狩野元信(かのうもとのぶ・文明8年~永禄2年・1476-1559)は,いっそう装飾化を進めた。桃山時代を迎えると狩野永徳(かのうえいとく・天文12年~天正18年・1543-90)が,安土城,聚楽第,大阪城などの金碧障屏画を描き,装飾的・鑑賞的な近世的漢画を大成した。狩野永徳の主な作品に大徳寺塔頭聚光院の障壁画などがある。永徳の門人,狩野山楽(かのうさんらく・永禄2年~寛永12年・1559-1635)は,永徳なきあと画壇の第一人者となり京狩野の祖として,狩野山雪(かのうさんせつ・1589-1651),狩野永納(かのうえいのう・寛永11年~元禄13年・1634-1700)に引継がれた。狩野永徳の孫,狩野探幽(かのうたんゆう・慶長7年~延宝2年・1602-74)は,徳川幕府の御用絵師となり二条城,江戸城などの障壁画を制作。主な作品に大徳寺本坊方丈障壁画,同徳禅寺障壁画などがある。


唐門(からもん)
唐破風のついた門。唐破風が正面に向かっているのが向唐門,両側面にあるのが平唐門。


伽藍配置(がらんはいち)
伽藍すなわち堂門塔廊などの,平面的配置又は配置法。鎌倉時代以降,禅宗の隆盛に従って南面して三門・仏殿・法堂・方丈などを一直線に,その東西に浴室・禅堂・東司(便所)等を置く禅宗伽藍配置が行われた。


枯山水(かれさんすい)
今日一般的には,室町時代ことに応仁の乱後の復興期に,禅宗寺院において完成した庭園様式の一つ。単に水がないというだけでなく,石を立てて滝とし,白砂を敷いて流れをあらわすなど,本来水のあるべきところに水を使わないで,水のある感じを象徴的にあらわした庭園全体をいう。


岸駒(がんく)
宝暦6年~天保9年・1756-1838
江戸時代後期の絵師で,岸派の祖。独自の画風で一派をなし,花鳥山水や獣類を得意とした。主な作品に屏風「雲龍図」(了徳寺蔵),「日蓮上人像」(実相院蔵)などがある。


乾漆(かんしつ)
漆を主要な素材とした彫刻や漆器。唐から伝来した技法。


祇園祭(ぎおんまつり)
京都八坂神社の祭り。7月1日から29日までの約1カ月間にわたって行なわれる。清和天皇の貞観11年(869)に,御霊の祟りと信じられた悪疫の退散をはかるため,神泉苑で御霊会を催したことに始まると伝えられる。


木鼻(きばな)
貫・肘木・紅梁などの鼻(先端)に付けた装飾彫刻。


北山文化(きたやまぶんか)
室町時代初期,3代将軍足利義満(あしかがよしみつ・正平13年~応永15年・1358-1408)が営んだ北山殿(現・金閣寺)に代表される文化をいう。公家文化と武家文化,さらに禅宗文化をも融合した複合文化。禅宗が発展し,多くの寺院を建立して建築と作庭に新しい息吹きを与え,京都五山を中心とした五山文学が栄える。又,芸能においても世阿弥(ぜあみ)による猿楽能が芸術的大成をした。


京都五山(きょうとござん)
室町幕府によって定められた,京都の禅宗五大寺のこと。天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺の五カ寺をいう。


京焼(きょうやき)
桃山時代以降,京都におこった窯芸の総称。


空海(くうかい)
宝亀5年~承和(774-835)
平安時代初期の僧で,真言宗の開祖。入唐し,密教を極めて帰国。京都の高雄山寺(現神護寺)に入住,のち高野山を開創。東寺を根本道場とし,同寺の隣に最初の庶民教育機関の綜芸種智院を建立。我が国の宗教・文化に多くの影響を与え,特に弘法大師信仰として現在も崇敬される。


空也(くうや)
延喜3年~天禄3年(903-72)
平安時代中期の浄土教の僧。市聖(いちのひじり)と称された。民間に弥陀の名号を唱えることをひろめ,その遊行の姿から俗に鉢叩念仏という。のち一遍はこれにならって踊念仏をひろめた。


庫裏(くり)
寺の台所。禅宗大寺院などでは,仏事儀式などのときの食事を用意する壮大な建物。


グリ-ン・ダニエル・C・グリ-ン
天保14年~大正2年(1843-1913)
アメリカンボ-ドの最初の宣教師。明治2年に来日し,その後同志社理事として教育運営にあたり,同志社彰栄館(明治17年・1884),同礼拝堂(明治19年・1886)を設計・監督した。


慶派(けいは)
鎌倉時代の仏師康慶・運慶の一門とその系統をひく仏師の一派。定朝直系の覚助にさかのぼり,鎌倉初期に康慶・運慶の父子をはじめ快慶・定慶ら名手を輩出した。運慶の業績は湛慶(たんけい・承安3年~康元元年・1173-1256)をはじめとする6人の子息に受け継がれ,東寺を中心に他派を圧し,七条仏所を構えて室町時代から江戸時代に至るまで造仏界の強力な一勢力を成した。湛慶の主な作品に蓮華王院(三十三間堂)の中尊千手観音坐像などあり,又,子息の康勝は六波羅蜜寺の空也上人像などをつくる。


康慶(こうけい)
生没年不詳
藤原時代から鎌倉時代にかけての過渡期の仏師で,運慶の父。慶派の統領として蓮華王院の塔仏像立などに参加し,運慶・快慶らを指導。


格天井(ごうてんじょう)
天井の一種。水平な横木を粗く方眼状に組み,間に板を張った天井。


講堂(こうどう)
説教や教典の講義をおこなう建物。禅宗寺院では,法堂にあたる。


光背(こうはい)
仏身から発する光明を意匠化したもので,仏像荘厳の一種。


杮葺(こけらぶき)
厚さ3ミリほどの薄い板で屋根を葺くこと。板材は,杉など。


ゴシック様式(ゴシックようしき)
13~14世紀のヨ-ロッパで成立した建築様式。古典様式と並ぶ西洋建築の代表的様式。教会堂・修道院の様式として発展した。


古墳(こふん)
土を高く盛った高塚式の墳墓。3世紀後半頃に発生した豪族層の墓。


小堀遠州(こぼり えんしゅう)
天正7年~正保4年(1579-1647)
江戸時代初期の武将・茶人。作事奉行として仙洞御所,伏見城本丸,二条城などの建築,造園の造作にあたる。早くから古田織部に茶を学び,のちに遠州流を確立。大徳寺塔頭龍光院に修行道場,大徳寺に孤篷庵を造営,寄進した。


狛犬(こまいぬ)
獅子と狛犬の組み合わせで,宮中や神社に置かれた守護獣の像。


御水尾天皇(ごみずのおてんのう)
慶長元年~延宝8年(1596-1680)
第108代。慶応4年(1651)に出家して法皇となる。幡枝御所(現・円通寺)や宮廷文化を今日に伝える修学院離宮を造営。学問・詩歌・茶道・華道などに造詣深く,寛永の和学復興の中心的存在となった。


権現造り(ごんげんづくり)
神社本殿の一形式。本殿と拝殿とを前後に並べ,その間をこれと直交する屋根で覆ったもの。


金堂(こんどう)
本尊を安置し,本堂・仏殿などとも呼ばれる。



四条派(しじょうは)
松村月渓(まつむらげっけい・宝暦2年~文化8年・1752-1811)に始まる京都画壇の一派で,京都の四条東洞院に住んでいたことから四条派といわれる。月渓は一般に呉春(ごしゅん)と呼ばれる。主な作品に西本願寺晟章殿小書院障壁画,障壁画「山水図」(妙法院蔵)などがある。呉春の弟,松村景文(まつむらけいぶん・安永8年~天保14年・1779-1843)が花鳥画に長じ,発展を遂げた。山水画に巧みな岡本豊彦(おかもととよひこ・安永2年~弘化2年・1773-1845)も呉春の弟子で,景文とともに四条派の双壁となり,近代日本画壇に大きな勢力を築きあげた。


持物(じもつ)
仏像が手にする持ちもの。


社家(しゃけ)
世襲神職の家柄で,社司家ともいわれる。


社寺縁起絵(しゃじえんぎえ)
国家の統制下にあった古代の社寺が,その末期からしだいに自立する過程で,社寺の縁起を描いた絵。


借景(しゃっけい)
庭園の区域の外にある景色を,作意の大きい要素として庭に取り込むこと,又はその外景をいう。


書院造(しょいんづくり)
日本住宅建築様式の一つ。古代の貴族住宅様式から中世末頃に始まり近世初期に完成し大いに発展した住宅様式。主室には,床・棚・書院・納戸構などの設けがある。


定朝(じょうちょう)
?~天喜5年(?-1057)
11世紀前半の藤原道長から頼通に至る時代に活躍した仏師。仏師康尚の弟子。寄木法を完成し,和様の彫刻を大成した。定朝晩年の彫刻様式を定朝様と呼び,後継者たちはこの様式を規範として用い数多くの作例が見出され,以後の日本彫刻界に与えた影響は大きい。平等院鳳凰堂に安置される阿弥陀如来像は,現存唯一の作品とされる。


浄土式庭園(じょうどしきていえん)
仏教の浄土思想にもとづいて,寺院の主要建築である金堂や阿弥陀堂の前面に池を開いてハスを植え,花園を設けるなどして,浄土の荘厳を意図した庭園をいう。


浄土思想(じょうどしそう)
阿弥陀仏を心に念じることにより,来世では極楽浄土に往生できるのだという思想。


障屏画・障壁画(しょうへいが・しょうへきが)
移動可能の障子絵・屏風絵・襖絵を合わせて障屏画といい,建物に固定された壁画を加えて障壁画という。


震翰(しんかん)
歴代天皇が自ら書かれた書画のことで,古来格別に尊重されてきた。


寝殿造(しんでんづくり)
平安時代後期ごろに完成した貴族住宅。寝殿とは,「正殿」の意味で,寝殿造とは正殿のある造りのことをいう。


親鸞(しんらん)
承安3年~弘長2年(1173-1262)
鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。比叡山で修学,のち法然の門弟となり専修念仏に入る。『教行信証』の完成など多く著述。東山区に西大谷,東大谷の両廟所がある。


杉戸絵(すぎとえ)
建物の廊下の出入口にはめ込まれる引戸に描かれる絵。


数寄屋(すきや)
茶室(草庵風茶室)の意匠や手法を取り入れた書院造系の建築。数寄を好んで建てた家の意で,江戸初期ころ,書院造が茶室の影響を受けてあらわれた。


角倉了以(すみのくら りょうい)
天文23年~慶長19年(1554-1614)
安土桃山・江戸時代初期の豪商。朱印船で海外交易を行うとともに,国内では技術と工夫を駆使した河川疏通の難事業を進めた。通船のための河川疏通事業で大堰川,鴨川を開き,高瀬川を開削。


雪舟等楊(せっしゅう とうよう)
応永27年~永正3年(1420-1506)
室町時代後期の水墨画家。宋元画法を終生画技の基調とし,始めて本格的な水墨画を大成した。主な作品に天橋立図,山水図などがある。


山水(せんずい)
平安時代からの用語で,山と水の景色をいう。もともと自然の風景を意味するが,転じて築山や池のある庭をさす場合に広く用いられる。


千利休(せんの りきゅう)
大永2年~天正19年(1522-91)安土桃山時代の茶道大成者。北向道陳,武野紹鴎らに茶の湯を学び,織田信長,豊臣秀吉に仕えた。秀吉の北野大茶会の茶頭として尽力。


曽我蕭白(そが しょうはく)
享保15年~天明元年(1730-81)
江戸時代中期の絵師。強い癖のある筆致で奇怪な世界を描いた。主な作品に襖絵「山水図」(鹿苑寺蔵),「李白図」(海福院蔵)などがある。


塑像(そぞう)
粘土などの塑土を素材とした彫像。唐から伝来した技法。



大念仏(だいねんぶつ)
人々が一堂に集まって念仏を修する行事。


武田五一(たけだ ごいち)
明治5年~昭和13年(1872-1938)
明治から昭和初期の近代京都の代表的建築家。大正9年に創設された京都帝国大学(現・京都大学)建築学科教授に就任する一方,建築設計活動を行う。主な建築作品に京都府立図書館,京都大学本部本館,毎日新聞京都支局(現・1928ビル)などがある。


塔頭(たっちゅう)
高僧の死後,その墓所に弟子が構えた坊舎で,後に本寺境内の末寺を指すようになった。


辰野金吾(たつの きんご)
1854-1919
明治時代の建築家。工部大学校造家学科の教授・大学長をつとめ,日本人による最初の設計事務所を開く。それまで外国人建築家に頼ってきた国家的建築を日本人建築家が手がける先駆けとなった代表的建築家。主な建築に旧日本銀行京都支店,東京駅などおよそ200件を数える。


田辺朔郎(たなべ さくろう)
文久元年~昭和19年(1861-1944)
土木工学者。琵琶湖疏水の設計,工事監督者。工部大学校卒業とともに京都府御用掛となり,疏水工事を完成し,水力発電所設置を成功させた。


俵屋宗達(たわらや そうたつ)
生没年不詳
江戸時代初期の画家。主な作品に『風神雷神図』屏風(建仁寺蔵,養源院襖絵・杉戸絵がある。


檀像(だんぞう)
南方産の白檀・紫檀・栴檀などの檀木を素材とした彫像。


追儺(ついな)
疫鬼を払う行事。「鬼やらい」「なやらい」などともいう。


蹲踞(つくばい)
つくばって手水を使うよう,低く据えられた手水鉢。


妻入(つまいり)
妻に出入口のある建築形式。屋根の破風の見える向きを一般に妻といい,この方から出入りする形式を妻入という。


鶴沢探索(つるさわ たんさく)
?-1797
鶴沢派3代目。作品に障壁画「唐人物図」(曇華院蔵),屏風「松に孔雀図」(泉涌寺蔵)などがある。


塔(とう)
仏舎利・法舎利などを納める特殊建築。5重・3重などの木造塔や層数の多い石塔を多層塔と称し,木造では心柱が支える相輪が屋上に聳え,心礎や宝珠に舎利を納めた。


土佐派(とさは)
大和絵の流派のうち,巨勢派と並ぶ大きな流派。大和絵といえば土佐派という名声を得たのは土佐光信(とさみつのぶ・永享6年~大永元年・1434-1521)によるところが大きいといわれ,主な作品に北野天神縁起,清水寺縁起絵巻などの絵巻のほか仏画・肖像画など数多く伝わる。



内陣(ないじん)
仏堂・社殿などにおいて神仏を祀った最も奥の一画。その外が外陣である。


長屋門(ながやもん)
大名や上級武士の屋敷あるいは上層民家にみられる門形式の一つ。門構えの片側あるいは両側に番所・居室・物置などを設けて全体を長屋にしたもの。


流造(ながれづくり)
神社本殿の一形式。切妻・照屋根で前の方の屋根が前に長く伸びた形。


南画(なんが)
江戸時代に長崎を通じて,中国の文人画論,画史画論画譜の類が輸入され,これが南宋画の理論と画風を伝えた。


日蓮(にちれん)
貞応元年~弘安5年(1222-82)
鎌倉期の僧で,日蓮宗の開祖。建長5年(1253)に法華経を依経とし,初めて題目を唱え,日蓮宗を開いた。


涅槃図(ねはんず)
釈迦の入滅,すなわち涅槃の様態は,横臥の独尊像として彫刻にあらわすことがあり,また群像彫刻として情景的に表現することもあるが,中国や日本では図絵にあらわすのが最も一般的である。


念仏踊(ねんぶつおどり)
主として盆に,除疫あるいは亡魂鎮送のためになされる踊り。



拝殿(はいでん)
神社において祭礼に際して際員が着座したり,礼拝するための建物。


長谷川派(はせがわは)
桃山時代に狩野永徳,海北友松と並んで漢画系の巨匠であった長谷川等伯(はせがわとうはく・天文8年~慶長15年・1539-1610)で知られ,肖像画,障壁画,屏風画など数多くを残し,なかでも宋元水墨画を摂取した『松林図』は桃山期水墨画の代表作。文禄2年(1593)に一門を率いて智積院の障壁画を制作する。


原在中(はら ざいちゅう)
寛延3年~天保8年(1750-1837)
江戸後期の絵師で,原派の祖。代表的作品に仁和寺奥書院,建仁寺開山堂,三玄院方丈各障壁画などがある。


東山文化(ひがしやまぶんか)
室町時代中期の文化。8代将軍足利義政(あしかがよしまさ・永享8年~延徳2年・1436-1490)の時代を中心とした文化を,義政が営んだ東山殿(現・銀閣寺)に代表させて東山文化という。特に,庶民が文化の荷担者として登場してきたのを特色とし,書院造,村田珠光による茶の湯の大成,池坊専慶を中心とする華道の発展,香道の大成等,生活文化が一気に花を咲かせた。


檜皮葺(ひわだぶき)
ヒノキの皮を重ねて葺くこと,また葺いた屋根。


風俗画(ふうぞくが)
人間の風俗や服飾,日常生活に重点を置いて書いた絵。


ヴォ-リズ ウィリアム・メレル・ヴォ-リズ
 明治13年~昭和39年(1880-1964)
明治36年(1905)にキリスト教伝道師として来日し,近江八幡を中心に伝道活動を展開する一方,教会やミッション系学校,大学,住宅など多岐にわたる数多くの建築設計を行う。主な建築作品に同志社ア-モスト館,駒井家住宅,大丸ヴィラなどがある。


藤原定家(ふじわらの さだいえ)
応保2年~仁治2年(1162-1241)
鎌倉時代初期の公家で,歌人。藤原俊成の歌論を発展させ,後世歌道の師と仰がれた。19歳の時から半世紀にわたる日記「明月記」や嵯峨の山荘で小倉百人一首を編んだ。


風流(ふりゅう)
本来は「ふうりゅう」と読み,みやびやかなものの意。それがやがて「ふりゅう」と読まれ,意匠を凝らし贅を尽くした装飾や作り物,さらにはそれらを特色とする華麗な練り物や群集の行動をいうようになり,ついにはもっぱら踊りの意に用いられるに至った。


古田織部(ふるた おりべ)
天文13年~元和元年(1544-1615)
安土桃山・江戸時代初期の大名で,茶人。豊臣秀吉の御伽衆として茶の湯で仕え,特に陶芸では織部風という新しい陶芸の世界を開いた。織部好みの茶室として籔内家の燕庵がのこる。


方丈(ほうじょう)
禅宗寺院における住持の接客や仏事に使う建築。客殿という場合もある。


菩薩(ぼさつ)
自らの悟りを求めるとともに,衆生をも済度するために修行する聖者をいう。初めは,悟る以前の釈迦だけを意味したが,大乗仏教になると菩薩は重要視され如来に次ぐ地位を得,弥勒・観音・勢至・文殊・普賢・地蔵など多くの種類の諸菩薩があらわれてくる。


本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)
永禄元年~寛永14年(1558-1637)
桃山・江戸時代初期の芸術家。古典文化に親しみ,書をはじめ蒔絵・陶芸に独創的な才能を発揮。元和元年(1615)に徳川家康より洛北鷹峯の地を賜わり,一族・工匠とともに移り光悦村を形成する。


本瓦葺(ほんがわらぶき)
丸瓦と平瓦を用いた瓦葺。瓦葺は古くはみなこれで,江戸中期頃にあらわれた桟瓦葺を仮のものと考えることに対して本瓦葺という。


梵鐘(ぼんしょう)
梵鐘は,寺院に用いる鐘で,釣鐘・撞鐘・洪鐘ともいい,多く鐘楼に吊り,撞木で打ち鳴らして朝に晩に時刻を知らせ,また祭事を告げたりした。



松村景文(まつむら けいぶん)安永8年~天保14年(1779-1843)
江戸後期の四条派の絵師で,呉春の末弟。代表的作品に屏風「金地墨画稚松亀図」(仁和寺蔵),衝立「富士図」(宝鏡寺蔵)などがある。


松室重光(まつむろ しげみつ)
明治6年~昭和12年(1873-1937)
明治時代の建築家。京都府技師として京都の古建築の保護に携わる一方,京都に数多くの新しい建築を手掛けた。主な建築に武徳殿(明治32年・1899),京都府庁舎(明治37年・1904),ハリストス正教会聖堂(明治36年・1903)などがある。


円山派(まるやまは)
伝統的な狩野・土佐・住吉の三派が振るわなくなった18世紀に円山応挙(まるやまおうきょ・享保18年~寛政7年・1733-95)が出て,斬新で親しみやすい画風を樹立し,大きな勢力となる。呉春や長沢蘆雪など数多くの弟子を輩出し,円山派は近代まで京都画壇の中心であった。円山応挙の主な作品に保津川図屏風,祇園祭月鉾の草花図などがある。


曼荼羅(まんだら)
輪円・集団または壇の意。中国や日本では,密教の修法のため多くの尊像を一定の方式にもとづいて整然と並べ描いた図のことをもっぱら曼荼羅と呼ぶようになった。


明王(みょうおう)
密教特有の忿怒尊で,大日如来の分身として諸悪魔を降伏させ仏法を守護する諸尊。


虫籠窓(むしこまど)
民家の厨子二階正面に設けられた堅格子窓。格子を塗籠にしたもの。


夢窓国師(むそうこくし)
1275~1351。鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した臨済宗の禅僧。禅僧として広汎な活動はもとより政治的な事績も多く,漢詩文や和歌等にも長じ,五山文学興隆の基をなし,また自然の環境を生かした庭づくりに独特な境地を開いた。


夢想疎石(むそう そせき)
建治元年~観応2年(1275-1351)
南北朝期の禅僧で,天龍寺開山。足利尊氏の帰依をうけて全国に安国寺・利生塔を建立。又,造園にすぐれ西芳寺,天龍寺などを作庭。


棟札(むなふだ)
建物の新築・修理などに際し,施主・工事関係者・工匠などの名と建築年月・祈願文などを墨書して棟木に打ちつけた木札。


名勝(めいしょう)
名だたる景勝地,景色のすぐれた所の意で,名所とほぼ同義である。


木簡(もっかん)
文字を記すために用いた木片。中国では,紙の出現までは竹簡とともに重要な書写の材料であった。


門跡寺院(もんぜきじいん)
皇子・貴族などの住む寺院。



やすらい花
春に飛散する花とともに疫神が分散するので,これを鎮めるため鎮花祭を行なったのに始まると伝える。現在,京都北区の上野・雲林院・川上・上賀茂の4地区に伝えられるが,疫神を鎮送する風流踊の古態を残すものとして名高い。


遣水(やりみず)
庭内の流れ,細流。平安時代の寝殿造庭園に始まる用語。


与謝蕪村(よさ ぶそん)
享保元年~天明3年(1716-83)
江戸時代中期の画家で,俳人としても知られる。池大雅と並ぶ代表的文人画家。天明時代(1781-89)の中心的な俳人として,蕉風俳諧の復興を唱えた。左京区一乗寺の金福寺に芭蕉庵を再興。主な作品に障壁画「飲中八仙図」(慈照寺蔵)などがある。


寄木造(よせぎづくり)
一木造に対する用語で,木彫像の根幹部分である頭・躰を同等の価値をもつ2材以上の木を寄せて作る技法。



洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)
京都の洛中洛外を大観した図で,その製作時期は16世紀から18世紀に及ぶ。屏風絵を主とし,扇面画・図貼としても製作された。


落款(らっかん)
書画を書き終えたあとに記される落成の款識という意味で,書の最後のところか,画面の空白のところなどに,筆者が署名し,印を押したものをいう。


欄間(らんま)
一般に内法長押の上に設けた横長の開口部,又はその部分にある框付の彫刻や細かい格子など。


琳派(りんぱ)
尾形光琳(おがたこうりん・万治元年~正徳6年・1658-1716)の流派で,金銀を多用した斬新な意匠的作風で,光悦,宗達らにより琳派と称され,後世の画風,工芸意匠に影響を与えた。主な作品に西本願寺伝来の「燕子花図屏風」(根津美術館蔵)などがある。琳派には光琳の弟,尾形乾山(おがたけんざん・寛文3年~寛保3年・1663-1743)のほか渡辺始興(わたなべしこう・天和3年~宝暦5年・1683-1755)主な代表的作品に大覚寺正寝殿障壁画,絵馬「鷲図」(峰定寺蔵),絵馬「曳馬図」(北野天満宮蔵)や酒井抱一(さかいほういつ・宝暦11年~文政11年・1761-1828)などがいる。


蓮如(れんにょ)
応永22年~明応8年(1415-1499)
室町時代中期の僧。本願寺8世で,浄土真宗中興の祖。多くの御文(おふみ)をつくり,北陸,東海,東国など活発に教化その後,山科に本願寺を再興し,大坂石山に坊舎を建立。

六斎念仏(ろくさいねんぶつ)
念仏踊の一つ。六斎は毎月8・14・15・23・29・晦日の六斎日をいい,古くこの日に踊念仏を修したことから,こう称するに至ったとされる。


六道絵(ろくどうえ)
六道とは,仏教の世界説の一部を成すもので,人間以下一切衆生が業因に応じてそのいずれかに往くべき6種の境界,すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六界をいう。盛行するのは平安時代末期以後で,浄土教絵画の一種として,絵巻物や掛幅の形式で製作された。


露地・路地(ろじ)
草案風の茶室に付属する茶庭。自然の限られた一部分をもって,大自然の雰囲気を暗示しようとしたもの。

出典 『文化財用語辞典』(財)京都府文化財保護基金 1989年
『京都大辞典』(株)淡交社 1984年
『京都市文化財ブックス第7集 近代の京都画壇』京都市1992年