御大典と京都市民
大正・昭和両天皇の御大典は、それぞれ大正4(1915)年11月10日と昭和3(1928)年11月10日に京都御所で行われました。天皇の即位儀礼には、前天皇の死後ただちに後継者が即位する「践祚(せんそ)」、天皇即位を国の内外に宣言する「即位式」、新天皇がその年の新穀を神と共食する「大嘗祭(だいじょうさい)」の3つの異なる儀礼が含まれていましたが、明治42(1909)年の登極令の制定により、即位式と大嘗祭は、前天皇の喪が明けた年の秋冬の間に続けて行われることに決められました。このふたつの儀礼をセットにしたのが「御大典」であり、国家的なイベントとして盛大に行われました。
大正3(1914)年に参戦した第一次世界大戦の特需景気に湧いていた京都では、大典にかこつけた市民のエネルギ−が爆発しました。明治後半に、道路拡張事業、第2疎水・水道事業、電気鉄道建設事業をやり終えて、近代的な都市基盤が整備された京都では、特需景気もあり、一種異様な興奮状態にあったようです。
昭和の御大典は、昭和3(1928)年11月10日京都御所における即位式を皮切りに、同月14日から15日にかけて大嘗祭が行われ、16日からは御大典を祝う一般市民による提灯行列や旗行列が市内に繰り出しました。しかし、雨が多かったことと、天皇在京中の規制が強かったことから、思う存分踊れなかったというので、天皇が東京に戻る26日から奉祝踊を再度行うことを警察に申請し、26日から5日間が認められ、この間は大幅に規制を緩めることとなりました。昭和の御大典後の奉祝踊も盛大に行われました。

風呂敷問屋の店員さんたちの奉祝衣装
風呂敷問屋の店員さんたちの奉祝衣装(昭和3(1928)年11月・下京区石井筒町)

下京区石井筒町内の路地裏で、風呂敷問屋の丁稚さんや店員さんたちが、奉祝踊りの仮装を記念して撮影したものです。
  1. 自転車 スポーク部分に布(おそらく風呂敷)を貼って装飾をしています。前輪には旭日旗のデザインの上に菊の花をあしらい、「奉祝」、「國華」の文字が書かれています。後輪には「寿」の文字デザインの周りに風呂敷商とあります。また、荷物かごも青海波模様の風呂敷で飾られています。
  2. 三角旗 はっきりとは見えませんが、「奉祝國華風呂敷…」と書かれています。
  3. 三角帽を被る 三角帽には菊花があしらわれています。彼の服装はよくわかりませんが、風呂敷で作った貫頭衣のようなものを着ているようです。
  4. 運動靴 仮装している店員さんだけ運動靴を履いています。おそらく彼が自転車に乗って都大路を走り回ったのでしょう。
  5. 日の丸と旭日旗
  6. 丁稚さんか 下駄を履く。
  7. 手代さんか
  8. 番頭さんか

大正大典時の商家の飾り  奉祝踊の衣装奉祝踊の衣装
(大正4(1915)年11月23日・撮影場所不明)
大正大典時の商家の飾り
(大正4(1915)年11月・下京区船鉾町)
大正の大典の時には、室町の繊維問屋街の家々では、表を広く開けて、家の中には金屏風を立て、店の前の床几を並べて、その前に四斗樽の鏡をぬいて、柄杓を何本もつけて、道ゆく人々に酒を振る舞ったようです。
 
 大正大典時の奉祝踊りの男女  服喪の町並み(昭和元(1926)年・東山区新門前町)
 大正大典時の奉祝踊りの男女
(大正4(1915)年11月18日・撮影場所不明(京都市内))
大正の大典に参加した奉祝踊りの人々。大正の大典の時には、こうした衣装を着て踊りに 参加したようです。奉祝踊りに参加したこの写真の団体の男女の衣装は、男性が長羽織をは おって、女性は手古舞姿という、江戸の祭礼衣装を身につけています。
  服喪の町並み
(昭和元(1926)年・東山区新門前町)
大正天皇崩御直後の東山区新門前町の様子です。大正天皇は、大正15(1926)年12月25日の未明に崩御されたので、昭和元年は、25日から31日までのわずか1週間という短さで、この写真はその1週間、国民が喪に服した間に撮影されたもののようです。
昭和大典時の商家の飾り  服喪の町並み(昭和元(1926)年・東山区新門前町)
昭和大典時の商家の飾り
(昭和3(1928)年11月・下京区船鉾町)
昭和の大典の時には、烏丸通、河原町通、丸太町通などのメインストリ−トの舗装工事を はじめ、主要道路に建設する「電飾」と街路照明が整備されました。奉祝の意を表するため に、一般民家では、まん幕をはりめぐらし、日の丸と提灯を掲げました。
  昭和大典奉祝の電飾
(昭和3(1928)年11月)


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