お町内のつながり
江戸時代の京都では、町(ちょう・各個別町)が支配の単位でもあり、また自治の単位でもありました。町の住人、特に家持ち層の合議により、毎年の町の運営が決定されるとともに、京都所司代からの布達などは、町を通じて住民に告知されました。
お町内には町会所又は町席(ちょうかいしょ・ちょうせき)と称される公民館があり、そこに住民が定期的に寄り合って、 「町汁(ちょうじる)」や「寄合」などと称して、さまざまな取り決めについて相談しました。
こうした伝統は、明治に入っても受け継がれますが、戦時下における全国一律の町内会の成立と、戦時行政の実行単位としての事業の強要によって、お町内のつながりも変質していきます。
特に、第二次大戦後の都市構造の変化に伴う、都心部の人口流出や、職住分離の進行により、京都の都心部において、都市生活の基礎地域として存立することが難しくなりました。

大掃除の風景
大掃除の風景(昭和10(1935)年頃・京都市下京区荒神町)

大掃除は、町内一斉に行われた、ひと昔前の夏の風物です。大掃除は「煤払い」とも称して、明治以前から広く一般家庭で行われていましたが、その時期は年末であり、新年迎えの年中行事的色彩の強いものでした。
明治になるとそうした煤払い以外に、コレラを主とした疫病対策の目的で、7〜10月の夏場に行われるようになります。明治13(1880)年に内務省の指示により各府県に衛生課が設置され、その指導の下、京都市内では各学区ごとに衛生員が設置されました。
昭和に入ると、「衛生掃除」ともいわれ、年中行事化し、夏の風物詩のようになります。衛生掃除の時に店を開けていると肩身が狭かったといわれるように、昭和になれば全戸参加の行事でした。
  1. 手伝い人か 手拭いを被っています。手伝いの人は、テッタイサンといって、出入りの大工さんなどに頼んで数人に来てもらっていました。
  2. トムシロを干す。
  3. 畳をはたく。
  4. シュロ製の手箒 ほこりをはらう。
  5. 丸太 畳を置く土台とする。丸太を2本敷いて、その上に畳を立て掛けています。畳と畳の間にはかまぼこ板などを挟んで、風通しを良くしました。
  6. リンゴ箱 この上に畳を置いてはたく。

節分のお化けでの余興  町内会での遠足
節分のお化けでの余興
(昭和初期か・撮影場所不明)
男女の役が入れ替わっての寸劇からすれば、節分のお化けの時の様子であると思われます。町内の寄り合いで、節分のお化けの時に町内で遊んだ時の様子のようです。節分には、京都や大阪の都市部では、この日に仮装をして騒ぐ風習が江戸時代からあり、昭和40年頃までは一般家庭でもみられました。
 町内でのラジオ体操
(昭和15(1940)年頃・撮影場所不明)
国家総動員法(昭和13年)を受けて、京都市でも体育課が設けられ、各学区ごとに設立された体育振興会が指導にあたりました。同会は、写真にあるような遠足や体育祭、ハイキングなどを企画して、地域住民の結束を図ろうとしたようです。
町内でのラジオ体操  町内対抗運動会での応援団
町内でのラジオ体操
(昭和15年(1940)年頃・下京区船鉾町)

 町内対抗運動会での応援団
(昭和10(1935)年・下京区高橋町)
ラジオ体操ラジオ体操
(昭和17(1942)年頃・下京区船鉾町)
ラジオ体操は、大正14(1925)年に始まったラジオ放送を受けて、昭和3(1928)年の昭和天皇の御大典にあわせて実施されました。撮影された昭和17(1942)年当時のラジオ体操は、町内全員参加に近い形で行われていました。


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