「くらまさん」、古えから親しみと畏敬の念をこめて、京の人にこう称されてきたお山。
山裾を鞍馬川、貴船川の清流が縫う標高569メ−トルの鞍馬山の中腹に、南面して鞍馬寺の本殿が建つ。全山に満ちる宇宙の力、宇宙の理法を「
お山には、三つの宝ものがある。一つは、「京都に最も近く最も深い、しかも社寺林として最後まで残る」と形容される自然である。自然度の高さも種類の多さも群をぬいている。
お山では、自然は天からいただいた宝もの、尊天の顕現−宇宙の理法が
鞍馬寺本殿金堂
そのような自然は、人間が高みから保護するなどと言えるものではなく、その中に包まれ生かされていることに感謝すべき存在であるから、お山では全山を鞍馬山自然科学博物苑と名付け、豊かな自然を感謝の念と共に後世に引き継いでゆくことを第一義に、傷つけたり参道以外は手を入れたりしないよう努めてきた。
一、鞍馬山は尊天の浄域なり 常に清浄を保つべし
一、山川草木 自然の実相に羅網の世界を学ぶべし
一、すべてのいのち輝く世界のために尊天加護を念じ精進すべし
という「境内維持遺訓」に、お山の姿勢が尽くされている。
自然の宝庫と言われる鞍馬山。四季に応じて発生する様々な自然の「キノコ」
本殿金堂の内陣を莊嚴する羅網
ところが昨秋の鞍馬の火祭、暴風雨が由岐八所両明神のお旅所ご遷座を阻んだ台風21号は、お山の自然にも無残な爪あとを残した。根返りした何本もの木が参道をふさぎ、また崩落させて、奥の院への立ち入りを停止せざるを得なくなった。一ヶ月余で何とか復旧したものの、樹間からは青空がのぞき、鬱蒼とした森の雰囲気とはほど遠い。日が射し込めば、極相林などの植相も変化するだろう。大自然の前に人間はあまりにも無力である。
江戸時代には植林の記録があり、山容整備に積極的に取り組んできたことが伺えるが、近年、水が溜まり雨後にどろんこになるので歩き易さを優先したら、根っ子が土に埋まってしまった木の根道の例もある。シカやイノシシの増加など課題も多いが、あれこれ手をうたず自然に任せる方がよいのかも知れない。
二つ目は文字通り、有形、無形の文化財、それを生み出した歴史や伝統であろうか。お山は火事が多く、史書に記録を遺す大火が6回、多くの寺宝を灰にしてきている。寺に伝世する国宝2件、重要文化財6件は、先人の大きな努力により守り継がれてきたものである。その一端を伺い知る史料が、
無形民俗文化財として京都市に登録されている鞍馬
二つ目の宝ものは、鞍馬地区の皆さんとの連携で守り継いできたものなのである。
清新の気に満ちた年のはじめ、雪と氷に閉ざされても木々は芽を育み、やがて花をほころばせ葉を茂らせる。強い日射しを遮る木陰で憩ううち、いつしか錦をまとい葉を散らせて再び冬仕度をととのえる。春夏秋冬、規則正しい四季のめぐりの中で、雨の日も雪の日も、風の日も日照りの日も、お山に日参する人がおられる。お休み毎にご参拝の方、そして月参りが最も多い。みな一様にご宝前に額づき、静かに深く、熱く強く祈りを捧げておられる。お山が開創されてから、いやもっと古くお山が生まれてからずっとずっと、祈りの姿、祈りの心が共にあった。至心に祈る心こそが三つ目の宝ものである。
匠の技に祈りの心が加わって文化財や伝統が生まれ、生まれた尊像を拝して信仰心が涵養(かんよう)される。祈りの心が自然を活き活きと育み、自然の
それでも変わらないもの、変わってほしくないものがある。伝統や文化財、自然を後世に伝えようと、多くの方々が日夜ご尽力になっている。お山もその仲間でありたいと日々努めると共に、素朴な祈りの心、信仰の象を守り継いでゆきたいと強く思う。
すべてのいのち輝く世界のために、お山は「心の
毎年6月20日に行われる伝統行事「鞍馬山竹伐り会式」
文中写真/田中 一郎 撮影