鞠の作成

私が蹴鞠保存会しゅうきくほぞんかいに入会した四十年ほど前、京都御所や神社などでの鞠会、あるいは普段の稽古で使っていた鞠は寛政年間の作でした。つまり二百年近くも前の鞠を蹴っていたのです。かつては「鞠師まりし」という鞠を作る専門の職業がありましたが、明治維新以降、廃業しました。鞠は消耗しますので、次第に蹴鞠保存会の鞠も少なくなり、骨董店で鞠が出たと聞けば、買いに走る状況でした。先行きを考えると自分たちで鞠を作るしかない、ということになり、約三十年前に鞠作りの勉強会が開かれました。当時、鞠作りの経験があった会員がいたことは幸いでした。文書なども参考にしながら、皮のなめ しから始めて、何日もかけて鞠を作りましたが、従来の鞠とは雲泥の差がありました。しかし、この勉強会がきっかけの一つとなって、現在の山本隆史理事が鞠作成に取り組まれました。今では江戸時代のものと比べても遜色のない鞠が安定して供給されるようになったのは本当に有り難いことです。

鞠装束

蹴鞠(しゅうきく・けまり) の装束も正統なものを調えることは簡単ではありません。正式なものほど高額になります。上に着る「鞠水干まりすいかん」は紗や絽の絹織物で、金糸で文様が織り出されているものもあります。ところが経済的理由で化学繊維の装束の時期がありました。また、金の文様も織ではなく、摺箔すりはくの時代が長く続きました。最近になって、ようやく織で金の文様を入れることができましたが、最終段階で金紋紗きんもんしゃ を織る織機が存在しないことが判明しました。価格に拘らなければ織機を探し出せたかも知れませんが、限られた予算のなかでは工夫して金紋紗に近づけるしかありませんでした。下に履く「鞠袴まりはかま」の生地は葛布くずふですが、戦後、葛布の需要は激減し、現在では静岡県掛川市でしか織られていません。葛布が入手できなかった時代には麻の袴でした。「鞠袴」用の葛布の生産が途絶えることがないよう、少量ではありますが、毎年、注文し続けています。足に履く「鴨沓かもくつ」は江戸時代のものから型をとり、各人の足にあわせての特注品ですが、昔とは革の質が異なります。室町時代以降「鴨沓」には漆を塗っていましたので、それによって少しは原形に近づけるかと思います。頭に被る「烏帽子えぼし」の再現も容易ではありません。「烏帽子」の表面にはしわ・しぼがありますが、これを「佐比さび 」といいます。この「佐比」の大きさや形によって着装者の年齢や身分が決まります。「烏帽子」は「鞠水干」や「鞠袴」との整合性が求められますので、相応しいものを取り合わせなくてはなりません。しかし、この「佐比」の再現ができなくなっています。見本があっても同じようにはできてきません。作り直しをしてもらいましたが、無理でした。現在、「佐比」の再現は不可能になっていることを知りました。持ち物である「畳紙たとう」は、三十歳以下の人はくれない鳥子とりのこ紙を折って作ります。越前和紙の生産者は、この紙の存在は知っていましたが、作ったことはないとのことで、現在、再現に向けて交渉中です。

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下鴨神社

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上賀茂神社


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京都御所

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白峯神宮


蹴鞠の作法

蹴鞠の作法も修正が必要なことがあります。蹴鞠の宗家は明治の頃までは蹴鞠にかかわっていましたが、その後、関与しなくなりました。しかし、各時代・各流派の伝書があり、色々なことが記載されています。これらの伝書が遺されていることによって、現在行われている蹴鞠の作法や鞠庭の状況、鞠の蹴り方などの起源を辿ることができます。勿論、秘伝・口伝があり、全てが文書に記述されているとは限りませんが、典拠が不明のものは後世に我流で決められた可能性があります。従って、現行の作法などで、文書に書かれていることとは異なる時には、その正統性を検証する必要があります。そのために平安時代以降の文献をもとに、現在の蹴鞠の点検を行っています。その一方で、蹴鞠は実践ですから、どのようにすべきかが理解できても、身体に覚え込ませることは簡単ではありません。稽古を通して習得すべき課題でもあります。

後継者育成

後継者の獲得と育成は重要課題です。月二回の稽古に会員の多くが仕事の調整をつけながら参加しています。また、年に十回以上ある蹴鞠の公演は平日の時もあり、出席者の確保は容易ではありません。一方、東京とその近郊に数名の会員が在住し、東京で体育館を借りて稽古をしています。この東京稽古場にも鞠と鞠袴を装備し、指導者を月一回、派遣しています。しかし、京都で稽古する方が望ましいため、遠隔地会員には交通費の一部を補助しています。また、通常の稽古とは別に強化稽古や合宿も定期的に行い、蹴鞠の技術だけではなく、知識の継承も図っています。

蹴鞠の将来

蹴鞠が日本に伝来してから千四百年以上が経過しましたが、当初の蹴鞠がどのようなものであったかは定かではありません。一方、現在のように、鞠を上に蹴り上げて地面に落とさずに相手に渡す蹴鞠が文献上で確認できるようになってからでも千年以上が経過しています。このような蹴鞠ですが、平安時代のものがそのままの状態で現在に伝えられているのではなく、各時代の要素を取り入れて、変化しながら今に継承されているのです。今後も社会情勢などの変化に伴い、蹴鞠でも変化を受け入れなくてはならない事項が出てくるはずです。その時には、その理由を明確にし、その後、さらに修正が必要になった時でも本筋を見誤ることがないように努めなくてはなりません。また、変更事項を旧儀に復する時には、どの形に戻すかの考証が必要ですが、その時にも本質の見極めができなくてはならないと思います。蹴鞠の装束や作法には、それぞれの時代背景が包含されています。それらを正しく伝えることによって、御覧頂く方々の蹴鞠や蹴鞠に反映している時代に対する認識が損なわれることがないことを願っています。

写真/蹴鞠保存会 提供