北野天満宮・瑞饋神輿(ずいきみこし)作りは、毎年9月1日、「千日紅(せんにちこう)」摘みから始まる。千日紅は熱帯アメリカ原産で古くに日本に伝わったと云う。草丈50pほどの枝先に直径約2pの球状の赤い花をつける。西之京瑞饋神輿保存会会員の農家3軒の中京区西ノ京などにある畑で栽培されている千日紅の花を摘む。会員30数名の多くが非農家となった現在、千日紅摘みとズイキの収穫は土に触れる大切な刻(とき)でもある。

翌2日の夜7時ごろになると「今晩は」「暑いな」と言いながら、上京区西之京北町にある保存会集会所に会員が集まって来る。木造平屋建て書院造りのエアコンもない建物での「夜なべ」作業は、時代を超えタイムスリップした空間となる。8時半までの夜なべ作業は9月中頃までほぼ毎晩続く。

作業の一つに千日紅の花を糸に通して長さ2mぐらいの数珠状にしていくのがある。瑞饋神輿のズイキの屋根から下にのびた「真紅(しんく)」と呼ぶ柱に使う。数珠状の千日紅の赤い花を糊付けしながら二人が息を合わせて柱に巻いていく。1本の真紅に必要な花の数は約2千個。真紅は4本あり、子ども神輿の真紅にも使うので、1万個ほどの千日紅の赤い花が要る。最後に白色の千日紅の花で天満宮の文字を描く。見事なドライフラワーの完成である。

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瑞饋神輿 撮影 神崎順一

稲藁の梅鉢紋の房

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ズイキ畑

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ズイキの収穫

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ズイキ屋根葺き

また集会所の玄関を出た所では藁(わら)打ちが「トントントン」と小気味よい音を立て行なわれている。真紅に飾る稲藁の梅鉢紋(うめばちもん)の房を作る為に。集会所内では柔らかくなった藁を綯(な)う人がいる。出来上がった2mの藁縄は梅の形に編む人に託される。さらに集会所に収穫し立ての新米の稲穂が運ばれ、藁をはずして揃えられる。この稲藁や稲穂も会員農家が作ったものである。

瑞饋神輿は金色に輝く麦藁を、様々な文様に彫って各所に使っている。なま物と違って何年も使えるが、傷みの激しい所から取り替えている。麦は会員農家が作り、春3月の夜なべ作業で、麦藁を開き、中の肉汁を取り除き、和紙に糊貼りする。七宝や龍、梅、三蓋松といった文様は、昔から友禅の型彫屋さんに彫ってもらっている。出来上がった文様を9月の夜なべでは、赤や緑や金銀の和紙に貼ってから土台に貼り付ける。龍などは何色もの和紙の重ね貼りとなり、腕に自信のある会員の仕事である。

人気の細工物

神輿の四面を飾る欄間(らんま)・桂馬(けいま)・腰板(こしいた)と呼ばれる「細工物(さいくもん)」の担当者は、夜なべと併行しての製作となる。四面共通のテーマはなく、毎年、趣向を凝らして各々が題材を考えることになっている。題材はその年の干支、NHKの大河ドラマ、昔話は今も主流であるが、ハリーポッターやガリバーなど時代の流れを感じられるのもこの神輿の特徴である。これらの作品も自然の物を使って作ることになっている。干しズイキ、ズイキの葉、なんば(とうもろこし)の皮や毛、九条ねぎや南瓜の種。青のり、ススキなど。

9月下旬、西之京の神輿町が各々、神輿作りを分担していた唯一の名残である「鳥居の海苔貼り」が集会所で行なわれる。西上之町(にしかみのちょう)の住人8人ほどが集まり、鳥居の笠木に貼ってある古い寿司海苔を削り取り、新しいのを貼る。いい香りが漂う。

色鮮やか野菜瓔珞

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野菜瓔珞作り

神輿の四角(よすみ)を飾る色鮮やかな「野菜瓔珞(ようらく)」は赤ナス、五色トウガラシといったなま物を使うため、9月末の昼間の作業となる。会員農家が朝、赤ナス、五色トウガラシを株ごと集会所へ。鋭いトゲがいっぱいの枝から実をはずす。赤色と緑色の赤ナスの実、五色トウガラシをタコ糸に通していく。麦藁細工の家紋も使いながら、縦横組み合わせて立体的に組み立てる。激辛トウガラシなので針を舐めると大変。この作業と併行して、梅鉢紋の飾りに付ける柚子のくり抜き、稲穂束ねが行なわれる。

9月30日朝、いよいよズイキの収穫。会員農家が丹精込めて育て、背丈より大きくなった赤ズイキ(唐(とう)の芋(いも))、青ズイキ(真芋(まいも))。赤ズイキは頭芋(かしらいも)(里芋の親芋)も神輿で使うので株ごと起こす。その数70株。青ズイキは丈の長いズイキ部分だけ200本切り取る。午後、神輿の土台(木製)がある北野天満宮御旅所(中京区西ノ京御輿ヶ岡町)にてズイキで屋根を葺き、各部各部を寄せ木細工のようにはめていく。10月1日、野菜瓔珞(ようらく)を吊り下げ、地元の彫刻家による一刀彫りで阿吽の獅子に変身した頭芋4対を飾り終えると、神宿る神聖な瑞饋神輿の完成である。

2日・3日の午前中は、地元の小学校7校が授業として見学・説明を受けに来る。事前に案内を出すことで学校数が増えた。また1日〜3日夜、会員による「ナマ説明」タイムを2013年より設けた所、大変好評を得ている。

瑞饋神輿の歴史

瑞饋祭は、平安時代に西之京神人(にしのきょうじにん)が五穀豊穣を感謝し、菅原道真公の神前に新米・野菜・果実に草花などを飾り付け、お供えしたのが始まりと云われている。室町時代に入り西之京神人は幕府より酒麹造りの独占権を与えられ、莫大な利益を得た。1527年頃には人物花鳥の細工物(さいくもん)も入ったお供を酒麹造りに使う槽(おけ)に2本の棒を付け荷うようになった。瑞饋神輿の原型である。1607年には葱花輦(そうかれん)型神輿とし、瑞饋(ずいき)の音韻にちなんで里芋の茎(ズイキ)で屋根を葺いた。瑞饋神輿の始まりである。現在と同じ形式の四方に簾をかけ唐破風(からはふ)の四方千木(しほうちぎ)型になったのは1802年。

江戸時代、街と田舎が同居する西之京にあって、瑞饋神輿は百姓と職人文化の見事なコラボレーションと云える。毎年同じ様に作る定番部分と、欄間(らんま)など毎年変わる流行(はやり)の部分がうまくマッチするアイデアはこの神輿の真髄かもしれない。その心は田畑も農家も少なくなったいまも受け継がれ、10月4日午後、上京区と中京区にまたがる西之京各町を、昭和2年製作の立派なみこし車に載せて子ども神輿ともども賑やかに巡行する。そして翌日、解体され、なま物は土に還る。

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瑞饋神輿 巡行

文中写真:西之京瑞饋神輿保存会提供