大原野

向日市の西、凡そ西山山麓に位置する大原野は京都市域の都市化が進む中で市街化調整区域、京都府歴史的自然環境保全地域として自然が豊かに残され、古の都長岡京や日本最古の物語である竹取物語、源氏物語とその作者紫式部等との縁も深く歴史の風情を感じると共に、鎮護国家の古刹も多く存在し文化財にも恵まれた良き地である。

大原野神社

当神社は延暦3年(784)の長岡遷都に際し、桓武天皇・皇后が藤原氏の氏神、奈良春日社の神を勧請したのに始まる。のち、藤原北家の願により文徳天皇によって西山、小塩山麓の現在地に壮麗な社殿が造営された。以来、中世後期まで春日社に次ぐ藤原氏の氏神として春日社に準じる祭祀をうけ、歴代藤原氏出身皇后の参拝が長く続いた。近代社格制度により明治4年5月14日には官幣中社に列格した。

中門とその東西廊の奥に春日造り檜皮葺きの本殿四棟が東西に並ぶ現社殿は慶安年間の造営で、去る平成20年3月には昭和45年以来38年ぶりとなる修復工事を終えている。本殿四棟、中門とその東西廊は京都市指定有形文化財で、他に摂社として鯉沢池(こいさわのいけ)東方に若宮社(未指定)がある。

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大原野神社境内

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大原野神社本殿


摂社若宮社の修復

若宮社は本殿同様に丹塗り檜皮葺きの一間社春日造で、創建年代は詳らかではないが春日社系社殿の形態をよく伝えるものとして価値が高い。この度、昭和62年の屋根葺き替えより26年を経て檜皮屋根の腐食や動物による損傷が著しく、内部に雨漏りの生じる恐れもあることから平成25年9月から同年12月末にかけて修復を行った。この事業に対し公益財団法人京都市文化観光資源保護財団より助成を頂いたことは、社殿のみならず境内整備に経費のかさむ当神社にとって大変有難いことで、紙面をお借りして衷心より御礼申し上げる次第である。

さて、26年ぶりの若宮社の修復に対し、6年前に38年ぶりの修復を終えた本殿四棟を始め中門とその東西廊であるが、一般的に言われる檜皮屋根の耐用年数35年を考えると若宮社の屋根の耐用年数は短すぎる感がある。これは立地条件による通気性の悪さや周囲に繁茂する樹木が要因と考えられることから、その保存管理においては目先ではなく50年後100年後を見据えた周辺環境の整備が必要であり、当神社の今後の課題でもある。

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修復前後の摂社若宮社(写真上:修復前,写真下:修復後)


文化財保存の取り組みと苦労

本年、西京区に竹をイメージしたマスコットキャラクター「たけにょん」が誕生したように、ここ大原野でも筍は特産品の代表である。実は当神社の境内(約2万5千坪)は三方を竹林に囲まれている為、毎年4月中旬から5月中旬にかけては定期的に境界を歩き、境内に生えてくる筍(時には竹に成長している)を倒したり切ったりして境内への侵入を防いでいる。時には農家の嫌われ者である猪が私の良きパートナーとなり、夜間に土まで掘り起こして存分に筍を食べてくれてはいるが、それでもこの春に私が処分した筍の数は数百にのぼる。ご存知の通り竹は繁殖力が強く、これを放置すれば社殿の周囲が竹林で覆われてしまい、もはや手の付けられない状態になってしまう。ちなみに、この度修復を終えた若宮社の南側十数メートル先は孟宗竹の薮である。

次に、平成17年6月に関西野生生物研究所の川道先生がアライグマなる動物の調査に来られ、柱に残る多数の爪痕からこの動物の存在を確認された。それまでの私はというと、タヌキとアライグマの区別もつかぬほどで、実際に社殿に接する土塀の上を歩いているアライグマを見たり、夜間に社務所の天井裏から大きな物音を聞いたりしていたが、いずれもタヌキや猫だと思っていた。そして、改めて川道先生からアライグマの生態や文化財に及ぼす影響についてのお話を伺い捕獲の必要性を痛感し、以来その実践に努めている。平成17年7月からのアライグマの捕獲数は56頭に上る。(10月3日現在)

私にとって「文化財を守ること」とは「境内地を守ること」であり、先に述べた竹やアライグマの問題は一生の課題である。何事も続けるというのは大変なことで、「根気強く頑張ってください。」との川道先生の言葉が私を後押ししてくれている。福井県の中でも特別豪雪地帯に指定される地で生まれ育った者らしく、今後もねばり強く対処していく所存である。