平安建都千二百年の時であった。百年前の千百年の時と同じように盛大な記念行事をしたい。ついては,そのメインイベントとして,「大文字五山送り火」を12月31日の夜に点火して欲しいとの申し出であった。これを受けた私達は,送り火は8月16日お盆の先祖送りの行事のみを考えていたので,大変吃驚したものである。各五山の意見を集約した結果,大勢としては,積極的に賛同する保存会はなく,記念行事に参加できないとの結論になった。関係者には,誠に申し訳ない結論であった。
 しかし,その時の申し出を受け,議論した事は「送り火」のおかれている今日的な意義を考える良い機会ともなった。  その後,数年がたち「21世紀京都幕開け記念行事」について,市民の代表からのアンケ−トの中で,「大文字五山送り火」を12月31日の夜,カウントダウンの時に点火して欲しい。との意見が圧倒的であった。又,世紀を結ぶ火の祭りには,京都なら五山の送り火が絶対欠かせない。というのが市民の声である。是非,大文字五山送り火を点火して欲しい。との要望が寄せられた。
 早速,議論したが建都千二百年の時と同じように,実施に消極的な意見が大勢を占めた。しかし,今回は市民参加の行事であり,再度協議して欲しいとの事であった。
 各五山の保存会では,それぞれ協議したが,建都千二百年の時と同じ意見が多く,会員の協力を得る事が極めて困難な状況であった。しかし,京都市行政当局の涙ぐましい努力と各保存会において,若手を中心に前向きな気運もあり,再度五山連合会として協議した。結論は,「五山すべてが参加する事。一山でも不参加があれば辞退する」事とで一致した。その後,各保存会では,以前の意見と角度をかえて話し合い消極的な山もあったが,互いに折れ合い,理解に努め五山すべてが参加する事に決定した。私達五山の関係者は,反対の為の反対ではなく,五山の送り火の歴史即ちこれを守ってきた村人の心が「お盆の送り火以外に点火できるのか」のこだわりをどうクリアするかであった。
 京都の伝統行事は,多くの町衆によって守られ続いている。古い歴史を重ねながら間違いなく引き継がれているのである。しかし,今回のように「12月31日になんでや?」となるとこのことが会員の全部に一定の理解が得られないと,送り火自体がやりにくくなる。一軒でも不参加が出ると今後に大きいしこりを残し,伝統が守れなくなるからである。今回の12月31日の送り火は,五山の村人達に「なんでや」を問いかけ,これを克服する為に苦しんだのである。
 五山の送り火の担い手即ち会員は,一種の世襲制である(例外もあるが)。それぞれの山の麓に住み,農業や林業に従事し,地元のお寺を大切に守ってきた人々である。したがって,すべての家では,お盆になると先祖の霊を迎え,手厚くもてなし子孫と共に祈る。次には,8月16日の夜迷いなく,先祖にあの世へ帰って頂くために,子孫が揃って賑やかに足元を明るく照らして送るのである。
 したがって,今回の提起の二十世紀と二十一世紀を結ぶ送り火が,自分の先祖とどんな関係があるのか。みだりに点火する事は先祖に対する冒涜でないのか?というような難問もあり極めて多難であったが,戦争と環境破壊の二十世紀を送り,平和と人権,明るい二十一世紀を迎えるこの節目に五山の送り火を京都から世界に発信する主人公である事を私達は確認したのである。
 そして,百年に一回の又とない機会である。多くの人々に感動を与える火を,京都の山々に点火しようと改めて決意した。12月31日の天候はまさに奇跡であった。午後5時〜6時頃小雨が降り,冬には珍しい霧が発生し,大文字も見えず又大文字から京都の街も見えない状況であった。しかし,点火の一時間位前,寒い北風が吹きはじめ,霧をはらいのけ東山から北山が黒々と浮かび,澄み切った空と共に送り火の点火を待ってくれているようであった。午後9時に点火,冬の澄み切った空に漆黒の山々に赤々と送り火が点火され,その美しさは夏のお盆では見られない美しさであった。今まで約一年余,議論し準備した苦労が想い出され同時に,この成功は五山揃って点火する事を各山の先祖が祝福してくれたものと改めて手を合わせ拝んだのである。
 今回の21世紀幕開け記念事業への参加によって,京都の大文字五山送り火は一保存会だけの先祖の送り火でなく,広く京都市民すべてが待ち望み手を合わせて拝んでくれる大切な伝統行事である事を知った。その支えを大切にして,今後も大文字五山送り火を守り,送り火の意義を多くの人々に考えてもらいたいと思う。
「色々な思い出を送り反省し,新しい可能性の未来を迎える」大晦日の送り火に想う。

(松ヶ崎妙法保存会会長)