振り顧りみますと、私の青少年時代(戦争をはさむ昭和10年代から20年代にかけて)、山鉾の建つ町内に育った子供たちは、自分の町内の山鉾のことは、幼い時から手伝わされてきましたから、大変よく知っていました。
芸術的価値や歴史的意味などはともかく、手摺てすりのどこの釘が折れそうだとか、懸装品のどこのほころびが密かにボンドで修理されているかといったこと迄、ちゃんと心得ていて、黙っていたのです。そして生まれた時から長老や親から脳味噌にすり込まれて、自分たちの山鉾のみが日本最高のもので、他の町内の山鉾など問題にもならない、と信じ切っていましたし、事実、他の町内の山鉾をうっかり褒めようものなら、ひどく叱られたものでした。
つまり、私の申し上げたいのは、連合会役員の中でも、山鉾町に生まれ育った生粋の町衆ほど、実は祇園祭全体のことなど、何も知らないのが多いということであり、私自身もその一人に他ならないということであります。只、親が八坂神社を崇敬し、毎月朔日ついたちには八坂神社からお砂を頂いてきて自宅で五行祭を斎行している姿を見つつ、祇園祭の原点はここにこそあるのだなあということだけは心と体とに染みついて判っておりました。そして当時はすべての山鉾町の町衆殆どが皆、私のような人間で固められていたと思います。
ところで近年、大都会の著しい近代化は、祇園祭の山鉾建てから山鉾巡行にいたるまでの行程を恐ろしいほど複雑化してしまいました。たとえば、道路使用許可、交通規制、電線検査や信号機処理、祭期間中の駐車許可の手続き等々には、警察署、消防署をはじめ神社、各交通機関、電力会社等々と御相談して許可と協力を得なければなりません。
しかし、こうした業務などはまだまだ序の口なのです。山のかき手、鉾の手のためのアルバイトやボランティア依頼、ちまきその他各町内で配有される物品の手配、露天商の適正な営業形態の確保、宵山や巡行時の雑踏の整理、夕立時等の事故の心配、毎年二百トン近く出るゴミの処理、とりわけゴミのとり残し一掃のための宵山深夜から巡行日早朝にかけての巡回、そして、ゴミの山に対し、またトイレ不足の結果としての裏通りにおける立ち小便の洪水に対し、正義の怒りに燃える付近住民から、「もう祇園祭なんぞやめてしまえ」とばかりに殺到する苦情の対応、等々、書き立てればきりがありません。毎年、巡行直前の幾晩か、各町内の役員や山鉾連合会事務局員たちは死に物狂いの状況です。とにかく観光客、警備担当者、祭参加者、氏子や協力者すべてに事故のないことが至上命題だからです。近隣の都市で発生する大惨事の二の舞だけは防ぐ努力をしなければならないのです。宵山や巡行当日が土曜、日曜などと重なった年などは全く災難としか言いようがありません。
また巡行に遺漏いろうなきよう、32の山鉾町それぞれの事情に応じ年間を通じて絶え間なく、新調、修理、保全等の手当ての援助を考えるのも連合会の役目であります。そのためには、文化庁、京都府、京都市わけても京都市文化観光資源保護財団、神社、等と常に連携を密にして補助と指導を仰がねばなりません。
また、祭を支えて下さる協賛会を始めとする社会の諸団体等との関係も大切です。更に京都の祇園祭は、全国の類似のお祭のいわばエース格の座に運命的に据えられているため、その行動は世間の厳しい目にさらされています。日本中があなた(祇園祭山鉾連合会)の一挙手一投足に注目しているのですぞ」(あなたが伝統を崩せば、全国の祭の伝統も崩れ去る、という意味でしょう)とは、私が繰り返し文化庁のかたがたから頂く御忠言であり、どのような内情を抱えていようとも軽々に伝統をゆるがせにするような行動にも出られません。
さて、ここで初めに述べたお話を思い出して頂きますと、きっとどなたも「いやはや、自分の町内の山鉾のことしか知らず、しかも井の中の蛙よろしく自分のところが日本一との妄想にふけって育ってきたような手合いに、よくもまあ、そのように複雑怪奇な現代社会の縮図のごとき仕事をさばかねばならぬ山鉾連合会の理事長なんぞが勤まっているものだ」と呆れられましょう。私自身も実は呆れ果てております。
しかしです、では祇園祭の近代化と能率化と有効利用とを求めて、町衆育ちでなくとも、有能な官僚的人物、あるいは敏腕な経営者であればトップに据えていいものでしょうか。
否、と私は申し上げたい。それは精神活動の堕落に他なりません。そもそも祭というものが、政治でもなく、営業でもなく、社会事業ですらなく、むしろそれらすべての対極に位置し、かっ同時にそれら人間活動の根底に潜む、「美意識と遊戯こそ我らが生き甲斐」との人類の根源的願望に発する現象であってみれば、山鉾町に生まれ育ち、美への陶酔と遊戯の慌惚に酔い痴れ果てた人間が、同時に、管理と効率、利害と計算にまみれた現象を処理する組織を運営しなければならぬという、このおかしな仕組みこそ、祇園祭山鉾連合会のあるべき姿なのだ、と私は考えております。
つまり、あらゆる精神運動に携わる組織がいつの時代にも直面してきた永遠のアポリア、解決不能の自己矛盾を、御多分に漏れずそのまま抱えこんで居心地の悪さに絶え間なく煩悶はんもんし続けている、そのような今の形のままが実は理想なのだ、と私は思っているのです。

7月17日に行われる祇園祭山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式、
7月2日京都市役所市会議場において山鉾連合会役員の立会いのもとに行われる。
      記
大正12年(1923)「祇園祭山鉾連合会」誕生
平成4年(1992)「財団法人祇園祭山鉾連合会」設立
(財団法人祇園祭山鉾連合会 理事長)