琵琶湖疏水系に属する主な庭園

並河家庭園  京都市指定名勝
 琵琶湖疏水の水を巧みに庭へ取り入れ,表情豊かな水と緑の景を展開した小川治兵衛。彼が手がけた数ある庭の中で,最初に疏水の水が導入されたのが,並河家の庭です。
  この庭の水は,無鄰菴庭園のように園池のために引き込まれたものではなく,そもそも七宝焼きの研磨用に引かれたものです。
  この庭の導水装置は,集水桝を用いた興味深い構造になっています。また,縁の下まで園池が入り込み,その底には細かな石組によって段差が設けられており,これはたくさん飼われている鯉の動きを活き活きと見せる演出と考えられます。さらに,排水口も単に水を排出するだけではなく,オーバーフローした流れは,縁先手水鉢の周りをえぐるように建物の下へと消えていくなど,至る所で水に対する遊び心が溢れています。

無鄰菴庭園  国指定名勝
 無鄰菴庭園は,その施主である山縣有朋の新しい感覚に触発された小川治兵衛の手がけた,二筋の流れと,東から西へとゆるやかに傾斜した芝生の丘を有する軽快な庭です。かつて,東側からの流れは,透かされたカエデとアカマツの間に見え隠れしながら瓢形の池に辿り着いたといいます。その様は,単に東山が借景であるということに留まらず,まるで東山山麓と地続きで,その谷間から流れてきたような趣があったといいます。東山を取り込んだその様は,立地と景が融和した見事な庭といえます。
 この庭園は,流れを主体とし流入口が二つあり,興味深いのは,二つの流れがそれぞれ別系統の水路を経ているところです。また,一個人邸の庭のために疏水の水が直接引かれたという点で,後の庭園群の展開において大きな意味を持っています。

引用・参考文献 中根金作『京都名庭百選』(平成11年,淡交社)

平安神宮神苑 国指定名勝
 社殿の背後に広がる神苑は,一帯の風致保持を目的に建造物と同様,平安遷都千百年記念祭協賛会造営事業の一環として計画されたものですが,同時に周辺民家の火災から社殿への延焼をふせぐ,いわば防災緑地としての位置づけが与えられていたのも興味深いところです。
 平安神宮神苑は,無鄰菴をつくっている最中であった小川治兵衛が,突如任せられたものです。小川治兵衛は少ない予算に四苦八苦したといいますが,予算の少なさを感じさせない卓越した仕上がりになっています。その手腕を実感することができる箇所に,東神苑の東側に位置する流れがあります。通常,この流れは握り拳よりも少し大きめの石が底に据えられただけの状態ですが,石組みは名石が使われているということもないにかかわらず,流れは活き活きとし躍動感に溢れています。

引用・参考文献 小野健吉「平安神宮神苑」尼崎博正編『植治の庭』(平成2年,淡交社)


都ホテル葵殿及び佳水園庭園 京都市指定名勝
 この庭園の水は「蹴上船溜系」に属しており,導水は明治37年(1904)瀑布築造時とみられます。 昭和8〜9年に可楽庵および葵殿南庭の築造が行われますが,その時に新たな鉄管を埋設したという記録はありません。
  明治42年(1909)に京都府庁が発行した『京華林泉帖』には,当時の庭の事情が丁寧な解説と写真で構成されています。それによると,掲載されている個人住宅の庭の園池は,その多くが人為的な水源,すなわち琵琶湖疏水と井戸水のポンプアップに依存しています。こうしたことから,近代における技術の発展は,保守的とも思われる庭の世界にも,大きく影響していたことが読みとれます。
 琵琶湖疏水系に属する庭の滝の水は,多くがポンプアップによって汲みあげられています。華頂山を背に京都市街を一望の下にする高台に位置する都ホテルも,もちろんその例外ではありません。
 巧みに地形を利用し,幾筋にも流れを配する力強いこの庭園を成立させたのは,新しい技術と伝統の技が融和したからであると考えられます。

引用・参考文献 中根金作『京都名庭百選』(平成11年,淡交社)


織寶苑の庭
 織寶苑の庭の園池の水は、「扇ダム系」に属しており単独の導水管で取水されています。ただし,明治42年に小川治兵衛の長男,小川保太郎(白揚)の手によって現織宝苑部分がつくられた時点では,水車により白川から取水していました。このように南禅寺・岡崎付近は,白川の水を利用しやすい地形になっており,塚本邸以外の白川両岸の園池でも当初は白川から取水されていました。塚本邸に疏水が取り入れられるのは,岩崎別邸が昭和8年の大改修を行った時点になります。
  東西に長い敷地をもち,東山を大きく取り込んだ織寶苑の景には,表情豊かな水の動きに溢れています。微妙な高低差が活かされ,それぞれの場面ごとに流れの音の立ち方や水しぶきの上がり方が変化に富んでいます。これぞ小川白揚,若き日の力作といえるでしょう。(非公開)

引用・参考文献 尼崎博正編『植治の庭』(平成2年,淡交社) 『京都大事典』


白沙村荘庭園  国指定名勝
 白沙村荘庭園は,南禅寺境内周辺の別荘庭園群からは遙か北に離れた,銀閣寺への参道の南側に位置します。
  扇ダムから続く疏水分線は,哲学の道沿いの丘陵傍をゆっくりと曲がりながら北上し,銀閣寺参道付近で西進し,今出川通りのちょうど吉田山の前あたりで再び北上します。
  かつて白沙村荘庭園は,疏水分線が銀閣寺参道付近で屈曲する所で,園池の水を取水していましたが,現在は井戸水を循環しています。
  ここで紹介しています琵琶湖疏水から園池の水を引き入れている庭のうち,最も距離が離れているのが都ホテル葵殿庭園および佳水園と白沙村荘庭園との間です。実に直線距離に換算して2km以上も離れた所の庭同士が同じ疏水を介して繋がっていたということになります。


白河院庭園  京都市指定名勝
 白河院の庭は,明治から昭和にかけて呉服商を営んでいた下村忠兵衛が大正7年(1918)にこの地を所有した時期につくられた庭で,小川治兵衛によって手がけられました。
  白河院は,織寶苑からそれほど距離が離れていないため,水系はそれらと同じ「扇ダム系」に属すると感じられますが,実は住友鹿ヶ谷別邸(有芳園)と同じ「桜谷川・若王子川系」に属しています。したがって給水までの経路はとても遠回りであり,扇ダムを経て一旦鹿ヶ谷まで北流した流れの水は,有芳園に入った後,桜谷川に放流され,その一部が白川をパイプで渡ったところで南進して,白河院に至っています。
  また,白河院の北側数件の民家には,白河院の庭と同様に疏水の水が引き込まれており,かつては少なくとも3つの庭の園池が繋がっていました。