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地図
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 京都市の最北端に位置する左京区久多は、安曇川の支流の久多川と宮谷川に沿ってできた里で、五集落からなります。標高約800〜900メ−トルの山々に囲まれ、冬は寒さがきびしく、夏はひときわ涼しい豊かな自然が残ります。その歴史も古く、すでに平安時代からひらけ、江戸時代には、近江の朽木藩の所領となり、その後明治を迎え、京都府の管轄となり昭和24年京都市左京区に編入されました。また、古くから林業が主な産業で、木材の供給源として盛んなところでありました。

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 久多(くた)の花笠踊(はながさおどり)は、京都市左京区の北端に位置する四季折々の美しい自然が残る山間の久多地区に伝承されている芸能で、5月5日の午(うま)まつりに志古淵(しこぶち)神社に五穀豊穣を祈願し、その成就に感謝して、8月24日の直近の日曜日の夜に志古淵神社に奉納する風流(ふりゅう)の灯籠(とうろう)踊です。
 花笠踊は、8月14日頃から地元の男性達によって行なう花笠づくりに始まります。
 久多の五つの集落(上の町・中の町・下の町・宮の町・川合町)が、上の組と下の組の二組に分かれ、それぞれに花宿(はなやど)と呼ぶ家を定めます。花笠は、六角形の笠と呼ぶ台の上に、蝋燭をともす四角の行灯をのせ、笠の四隅には意匠を尽くした透かしを貼り、色とりどりの美しい精巧な造花を飾って作り上げます。
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「花宿」と呼ばれる花笠つくりをする家が定められ、 それぞれに意匠を凝らした花笠が作りあげられます。
 この造花は、あやめ・朝顔・ダリヤ・ばらなどで、ほとんどが和紙で作られますが、菊だけは、地元で「ハシマメ」と呼ぶ植物の茎の芯を用いて作る特色のあるものです。
 8月24日の直近の日曜日の夜、久多の男性達がそれぞれの花宿に集まり、行灯に火をともし、花笠を手に上の宮神社に集まります。
 上の宮神社では、宮座の「神殿(こうどの)」と呼ばれる者が花笠を社殿に供え、踊りを奉納します。次に大川神社に移動し同様に踊りを行なった後、志古淵神社に向かいます。
 志古淵神社では、上の宮神社と同様に社殿に花笠を供えた後、拝殿前において花笠に清めの秡いをする「より棒」と呼ばれる者が棒を打ち合い、花笠踊が始まります。 踊りは、締太鼓のみを楽器とし、中世に流行した室町小歌をしのばせる歌にあわせ、花笠を手に持って踊る素朴なもので、上と下の二組が交互に掛け合う形式で踊ります。かつては、少年が花笠を頭にのせ踊ったといわれています。
 踊りの曲目は、「道行」「綾の踊り」「唐船」など現在では十数曲が伝承されていますが、地元に伝わる花笠踊本には、130 番余りの歌詞が書き残されています。  久多の花笠踊は、中世に流行した風流の灯籠踊りの面影を良く残し又、地域的特色も見られる重要なものとして、1997年12月15日国の重要無形民俗文化財に指定されました。


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